メダカとめぐる研究最前線

森下 真一

東京大学大学院 新領域創成科学研究科 情報生命科学専攻 教授

きっと誰もが開いたことのある,理科の教科書の1ページ。写真にうつっているのは,オスとメスとでヒレの形が違う「メダカ」。体長5 cmもないこの小さな魚に,いま注目が集まっている。メダカとヒトの共通点。そこに注目した研究者たちが,メダカをめぐって医療や環境などたくさんの分野に広がる研究を進めている。

メダカに向けられる熱いまなざし

メダカは,ヒトと同じ脊椎動物。からだの大きさや形はまったく違っても,からだの中をのぞけばよく似ている。内臓のしくみはほぼ同じ。さらには,細胞の中にあるDNAに書かれた情報にも共通点がある。そのため,腎臓病や脂肪肝など,ヒトと同様の病気にかかる。小さく飼育が楽で,さらには殖やすのも簡単なメダカを研究すれば,ヒトの病気やからだのしくみを解き明かすことができるかもしれない。メダカの持つこの可能性に,たくさんの研究者が魅かれ,毎日,研究室でメダカと向き合っている。2007年6月,今後のメダカ研究を大きく動かすであろう,あるニュースが発表された。「メダカゲノム解読完了」。その報告の席に座った3人のうち,少し変わった研究者がいた。それが,森下さん。研究室の中で,メダカではなくコンピューターと向き合っている。

研究現場で広く使われているヒメダカ。

研究現場で広く使われているヒメダカ。

コンピューター+生物=?

「中学生の頃は,ちょっと無理して難しいサイエンス雑誌を読んでいました。ただ,なるべく絵や図がたくさんあるものを」。中学・高校の頃から,サイエンスへの興味は人一倍あった。大学に入ったのは,ちょうどコンピューターが日本で普及してきた頃。「それならコンピューターのサイエンスをやってみようかなと思い,コンピューターを使った計算やプログラミングを学ぶ学科に進みました」。大学時代に行なったのは,もっぱらコンピューターの理論についての研究。卒業後も,コンピューター関係の会社に就職し,研究に取り組む日々が続いた。時代が流れれば,新しい情報が生まれ,積み重なっていく。30歳を過ぎた頃,「生命科学」の分野がちょうどそのときを迎えていた。「急激に進められたゲノム解読によって,扱うデータが増えてきたのです。そこで必要となったのが,その膨大なデータをコンピューターで解析し,分析した結果をインターネットを通じて公開することでした」。ゲノムとは,生物が持っている全ての遺伝情報。時代の流れとともに,学生時代には縁のなかった領域に踏み入れることを決めた。高校の生物の教科書を引っ張り出し学び直す,そんな日々をしばし送った。

小さなメダカが持つ,大きな可能性

東京大学のキャンパス内,森下さんの研究室には,大学時代と同じように,現在も大きな計算機がずらりと並んでいる。ここが,「メダカゲノムの解読」が行なわれた現場。今この場所から,最先端のメダカゲノムの情報が世界中の研究室へ発信されている。「植物も,昆虫も……。ほ乳類も,魚もゲノムを持っている。ゲノムという生物の統一原理を知ることで,生物学が私にとって魅力的なものになりました」。現在,地球上で発見されている生き物は,脊椎動物だけで45000種も存在する。その中で,ゲノム解読が終了しているものは,ヒト・マウス・イヌ・カエルなど,約10種だけである。そこへ仲間入りしたのが,メダカ。今後も,たくさんの生物について,ゲノム解読完了のニュースが耳に入ってくるはずだ。そして,メダカと同様,研究者たちの熱いまなざしが向けられることとなる。小さな水槽で泳ぐ,小さなメダカのさらに小さなゲノム。そこから大きな情報を引き出し,進化の道筋や,発生のしくみなど生物の謎を解いていく。それは,さらに医療や環境への応用研究に広がっていく。大きな可能性を秘めたメダカをめぐって,研究者は今日も研究を進める。(文・神畑浩子)

森下 真一(もりした しんいち)プロフィール:

1985年東京大学大学院理学系研究科情報科学専攻修士課程修了。卒業後,日本IBM(株)入社。理学博士取得を経て,1997年9月より東京大学勤務。医科学研究所,理学部情報科学科,新領域創成科学研究科を経て,現在情報生命科学専攻 教授。

研究室ホームページ:http://mlab.cb.k.u-tokyo.ac.jp/