経験が生んだ小さな針の発見|金丸 周司
東京工業大学大学院 生命理工学研究科 助教
バクテリオファージT4はどのようにして大腸菌に感染するのだろう?この謎を解くために日々研究を続けているのが金丸さんだ。留年した大学時代の経験は,一見関係ないようでありながら,現在の研究に大きく影響している。ものの見方はひとつではないということを,金丸さんは自身の経験からよく知っている。
ウイルス感染の謎を解明せよ
私たちがかかるインフルエンザや口内炎,その原因は,ウイルス。彼らはタンパク質の殻(から)に包まれ,中には自分のからだをつくる設計図(DNA)を持ち,自分だけでは増えることができない。私たちの細胞の中にDNAを注入し,ヒトが持っている機能を利用して,自分のからだの部品をつくり,大量に増殖した後に細胞を突き破って外に出るのだ。金丸さんが研究するバクテリオファージT4(T4ファージ)とはウイルスの一種。ヒトではなく,大腸菌に感染する。DNA とそれを包むタンパク質の殻からなる点は他のウイルスと同じだが,その殻の形 ——20 面体の頭と細い棒状の鞘(さや),その先に生えた6本の足—— は特徴的だ。T4ファージの大きな謎のひとつは,「どのように大腸菌に感染しているのか」ということだ。この答えのカギとなるT4ファージを構成するタンパク質の形と働きを調べ,それを解明しようというのが,金丸さんの研究だ。
留年が生んだ貴重な時間
高校を卒業して九州大学の薬学部に進学した。しかし,授業におもしろさを感じることができず,学校に行かなくなり,その結果,大学2 年生のときに留年を経験した。時間を持て余した金丸さんは,一人オーストラリアに渡った。テントと寝袋,それから20kgの荷物を抱え,半年間オーストラリアを巡った。移動はすべてバス。夜は安宿,もしくは野宿。気の向くままに出かけ,遊び,観光地を見て回った。「オーストラリアに行かなかったら,絶対英語をしゃべれるようになっていないから,今の自分はないと思います」。振り返ってこう語る。もともと英語が苦手で,それを避けたいがために理系に進んだほどだ。それが,英語圏でも生活できるという自信をつけるまでになったのだ。
チャンスをつかむまでの道のり
最初に研究したのは,細胞膜を壊す「リゾチーム」という酵素だった。九州大学で3年間研究した後,アメリカのオレゴン大学に行って研究できるという話もあり,東京工業大学に移りT4ファージの研究を始めたのだった。オーストラリアでの経験がこの決断を促したのだ。大学院の博士課程中にオレゴン大学で研究したのは数か月で,その後はしばらく日本で研究を続け博士号をとった。その後,2度目のアメリカ行きのチャンスが到来した。パーデュー大学の研究員として働く機会を得たのだ。ここでの研究が,大きな発見に結びついた。
小さな針の発見
長い間,T4ファージがどのようにして大腸菌に感染しているのかはまったくの謎だった。T4ファージの鞘の先には,基盤という名の約15種類のタンパク質からなる構造がある。金丸さんの研究チームは,この基盤の中心に,1本の針の形をしたタンパク質があるのを見つけた。小さな,三角形の針だ。そばには大腸菌の細胞膜を壊す酵素,リゾチームもくっついている。金丸さんらの研究により,この針の場所と,特徴的な形が明らかになった。現在は,この針を大腸菌に突き刺して感染するのだろうと考えられるようになった。約200nm(ナノメートル)の小さな世界の出来事が,ようやくひとつ見え始めたのだ。
事実から何を読み取るか
「日本は,もっとその人の過去よりも,今を評価するシステムになってほしい」。金丸さん自身も留年という失敗を経験した。しかし,オーストラリアでの半年間がなければ今の自分はない。英語は苦手なままで,T4ファージの研究をすることもなかっただろう。留年した時間で得たものは,他の何ものにも変えられない「経験」という宝物だったのだ。目の前にある「留年」という結果はひとつだが,どう見るかによって解釈はまったく異なってくる。研究に対しても同じことがいえる。金丸さんが発見した小さな針は,実は30年前の論文の電子顕微鏡写真にすでに写っていた。それにも関わらず,金丸さんが研究によって発見するまで,誰も針の存在には気付かなかったのだ。目の前にある事実は変わらないが,どう見るかによってその見え方はまったく違ってくる。思い込みは信用しない。だから,さまざまな視点が必要なのだ。これを信念に,金丸さんは日々研究に取り組んでいる。(文・観愛美)
金丸 周司(かなまる しゅうじ)プロフィール:
1994年九州大学薬学部卒業。東京工業大学大学院生命理工学研究科で学位取得後,パーデュー大学研究員,東京工業大学COE 助手を,経て現在は東京工業大学大学院生命理工学研究科有坂研究室助教。