クジャクの声を追って|高橋 麻理子

東京大学大学院総合文化研究科21 世紀COE 「心とことば-進化認知科学的展開」特任研究員

研究の世界へ憧れるきっかけとなったのが,大学2 年生のときに見た映画『アウトブレイク』だった。猛威(もうい)をふるう未知のウイルスとたたかう研究者が目から離れなかった。病気を治す研究をしてみたい!と生物研究の世界に飛び込んだ。

社会科学科から理学科へ

「中学校の卒業文集に,将来の夢として髪を振り乱して論文を書く自分の姿の絵を描いていました」。母親が研究者だったため,一番身近な女性である母親の後ろ姿の影響が強かったという。数学が苦手で,大学は教養学部の社会科学科を選んだ。しかし,学んでいくうちに自分が求めていることとのずれを感じてきた。高校生の頃,リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』などをよく読んでいた生物好きな自分。大学2年生のとき,それに気づいたのだ。そこから「卒業が遅れてもいい!」という強い意志とともに,理学科生物学へと専攻を変えた。「やりたい道に進むので,不安はありませんでした。むしろ,このまま残ることの方が不安でしたね」。それまで築きずいたものを捨て,新しい世界へ大きな一歩を踏み出した。

模様ではなく,鳴き声だった

長谷川眞理子(はせがわまりこ)先生の授業で,高橋さんはインドクジャクのメスが,上尾筒の目玉模様の数が多いオスを選んで交尾するという研究の話を聞いた。「目玉模様が多い方がときめくなんて,わかりやすい話だな。そのわかりやすさがいいな,と感動したのです」。高橋さんはクジャクの上尾筒の模様と繁殖との関係を追いかけて,研究を開始した。動物の行動を研究するというのは,タフな仕事だ。インドクジャクの繁殖が盛んな時期は4 〜 6 月の3 ヶ月。しかも早朝と夕方だけと限られている。1 日の始まりはまず,朝4時頃に天気予報の確認をする。羽を広げて求愛行動をするため,雨や風の強い日は求愛行動ができないからだ。晴れの日の5時,日の出の時刻からひたすらメスのクジャクの後を追って1分おきに行動を観察・記録し,また夕方の日の入りの時刻に行う。しかし,羽の模様がオスの交尾回数と関係あることを示すデータは出なかった。観察を始めてから2年,高橋さんは,当初から気になっていたオスクジャクの大きな「鳴き声」に注目し,テープレコーダーを置いてデータをとりはじめた。調べてみると,繁殖時期に特徴的なのはメスを待つ「ケオーン」という声と,メスが近くにいるときの「カー」という声。オスの鳴き声の種類や回数と交尾回数の関係を3年間調べた。そして,「ケオーン」という鳴き声を連続的に出すオスほどメスに好まれることをつきとめたのである。思い切って新しいことにチャレンジしたからこその発見だった。そのとき,クジャクの研究を始めて5年がたっていた。

私もそう思うよ,ダーウィン

現在は,クジャク,コクジャク,セイランの仲間など,インドクジャクに近縁の鳥の羽の模様と鳴き声(コール)を調査し,11種の中で羽の模様と鳴き声がどのように進化していったのかを調べている。過去にもクジャクのオスの羽の進化に興味をもった有名な研究者がいた。1859年,生き物は少しずつ変化し,種が分かれたという「進化論」を唱えたダーウィンだ。コクジャク属は1本の羽に2 つの目玉模様を持つが,クジャク属は1つ。昔は2つの模様を持つ祖先の鳥がいたが,やがて1つのものが現れ,それが現在のクジャク属になっていった。ダーウィンはそう推測している。「私もそう思うよ,ダーウィン」。高橋さんは140年前のダーウィンの考えに共感する。他の種と比べるとインドクジャクではオスだけが異常によく鳴くことがわかってきている。「さまざまな種の羽の模様やコールの違いを調べ,140 年越しでダーウィンの進化の研究の続きを完成させたい」。これが今の高橋さんの夢だ。

いつでもリスタートできる

「はじめにおもしろそうだと踏み込んだ世界に悔いはないけれど,途中で違うと思ったときにリスタートしたっていい」。その意思が,社会科学から理学への方向転換と,羽の模様から鳴き声へのアイデアの転換へと導いたのではないだろうか。新しい世界に踏み出すには勇気がいるが,そのぶん魅力も楽しみも得られるはずだ。今は,子育てと研究をバランスよく両立している。だが,研究を家庭より優先させるつもりはないという。「明日突然研究をやめることになったとしても今日までの成果は無駄にならない。どんなに小さくても世界の秘密を解くパズルのピースのひとつをはめられたと思える,そこが科学の良いところ」という。そんな姿勢が,高橋さんの研究者としての魅力だ。(文・神畑浩子)

高橋 麻理子(たかはし まりこ)プロフィール:

1999年国際基督教大学教養学部理学科卒業。2001年東京大学大学院総合文化研究科生命環境科学系修士課程修了。2004 年より東京大学大学院総合文化研究科拠点形成特任研究員。

2012年3月現在の所属:進化認知科学研究センター http://ecs.c.u-tokyo.ac.jp/