挑戦!トマトを食べて感染症予防|梶谷 正行
帝京大学 理工学部 バイオサイエンス学科 教授
トマトやレタスを食べるだけで,予防接種の注射を受けずに済んだら。注射嫌いの人には,この上ない朗報ではないだろうか。梶谷さんは,それを実現させようと日夜研究に励んでいる。
ワクチンと予防接種
高熱やけいれんなどを引き起こす日本脳炎や,インフルエンザといった感染症。これらを予防するために,予防接種の注射を学校や病院で受けることがある。その注射器の中身は「ワクチン」と呼ばれるもので,病原体の一部や,毒性を弱めた病原体そのもの。これを使って免疫力をつけ,いざ感染したときに,発症を抑えたり症状を軽くしたりするのだ。しかし,注射による予防接種は,注射器などの器具の輸送やワクチンの冷蔵保存にコストがかかるうえに,発展途上国などで使い捨てられるはずの注射器が再利用され,他の感染症が広がるケースがあり問題となっている。そこで考えられたのが「食べるワクチン(edible vaccine)」だ。野菜などの植物体内にワクチンをつくらせれば,食べるだけで免疫をつけられる。使用する地域で生産すれば輸送や保存も簡単だ。
ワクチンをつくるトマト
梶谷さんが目指しているのは「ノロウイルスワクチン」をトマトにつくらせること。冬の集団食中毒の原因として知られるノロウイルスだが,もちろんトマトはもともとそのワクチンをつくれない。そこで活躍するのが遺伝子組換え技術だ。生物は遺伝物質としてDNAを持っている。DNAには,その生物がもつタンパク質をつくるための情報が組み込まれた「遺伝子」という部分がある。遺伝子組換えでは,ある生物のDNAに,他の生物の遺伝子を入れることにより,生物の本来の性質を変えることができる。ノロウイルスは「コートタンパク質」でできた正二十面体の殻のような構造を持っている。このタンパク質の遺伝子を植物など他の生物に入れると,その細胞内でコートタンパク質が大量につくられ,中身が空っぽで病原性のないウイルス殻を形成する。それを取り込むと,私たちのからだはウイルスに感染したと認識して免疫反応を起こすので,ワクチンとしての働きが期待できるのだ。実際に実験を行ったところ,トマトの中に狙い通りのタンパク質をつくらせることはできたが,葉の部分にばかりつくられていた。それなら葉を食べる野菜にと,現在はレタスを使った研究にも挑戦している。日本では,遺伝子組換え作物に厳しい規制があり,でき上がったトマトやレタスを食べてその効果を検証するのは難しいかもしれない。しかし,植物がつくったウイルスのタンパク質がワクチンになることを示せれば「日本でトップになれる」。そう話す梶谷さんの顔は,高い意欲に満ちている。
実験を楽しもう
梶谷さんの研究室の学生は,ひたすら手を動かして実験を行う。遺伝子組換えは百発百中ではない。何十回,何百回と実験しても,目的の遺伝子を植物に入れられないこともある。たとえ成功しても,その植物が大きくなるまでに長い期間がかかるため,結果を見られずに卒業していく学生もいる。しかし,研究生活を通して得たスキルや感動は,一生忘れられないものだろう。1960年代,理数科に籍を置いていた梶谷さん。高校1年生の生物の授業で「ショウジョウバエの交配」実験を行うなど,充実した楽しい時間を過ごした。「実験は楽しいもの。今は,それを知らない学生がなんて多いのだろう」と梶谷さんは言う。そこで,学園祭に訪れた中・高校生に向けて実験講座を開催するようになった。「理科が大好きな子どもをもっと増やしたい」。実験好きな梶谷さんから手ほどきを受ければ,みんなその虜になるに違いない。(文・磯貝里子)
梶谷 正行(かじたに まさゆき)プロフィール:
1978年大阪大学理学部生物学科卒業。1983年京都大学大学院理学研究科生物物理学専攻単位取得退学後,東レ株式会社入社。1991年より帝京大学理工学部に勤務。助手,講師,准教授を経て,2008年より現職。