火星の水で宇宙農業 | 山下 雅道
独立行政法人宇宙航空研究開発機構 宇宙科学研究本部 山下 雅道教授
2008年5月26日,NASA(アメリカ航空宇宙局)の探査機「フェニックス」は火星に降り立ちました。そして7月31日,2ヶ月の探査を経て,ついに念願の水を発見したのです。惑星の起源や生命に不可欠な条件がかくされているかもしれない惑星,火星。今はまだ無人の探査機しか行けないけれど,人が直接調査を始める日も夢ではありません。
農業しながら火星探検
地球以外の惑星へ行くために,世界中の研究者たちは宇宙船やエンジンなど「輸送する技術」を開発しています。現在のところ,同じ太陽系の惑星である火星でさえ往復だけで2年半以上かかります。そのなかで生きていくためには,水と酸素と食糧が不可欠です。もちろん,必要な分をすべて地球からは運べません。ひとりの人間が地球で日常生活を送るために使う水は1日あたり約200L。スペースシャトルの中では,水の一部を再利用するシステムが実用化されています。しかし,排泄物から植物などの働きにより食糧と酸素をつくり,物質を完全に循環させる技術はまだ開発されていないのです。たとえ火星へたどり着いたとしても,探査することはおろか地球へ戻ってくることもできません。そこで山下さんが考えたのが,火星の土「レゴリス」と大気中の二酸化炭素,そして表層直下から得られる水を用いて,現地で農作物をつくること。順調に進めば,火星を拠点にしてさらに調査を行うこともできるでしょう。農作物が育つため必要なのは,空気,光,水,そして養分。火星の大気には大量の二酸化炭素と,微量の窒素があります。太陽からの光は十分に降り注ぎ,水の存在もついに発見されました。農作物に必要な三大栄養素,窒素・リン・カリウムのうち,レゴリスはリンとカリウムを含むことが確認されています。通常,植物は成長するために大気中の窒素を利用することができません。しかし,ミヤコグサやダイズなど一部のマメ科の植物は根に共生した根粒菌が窒素固定を行うため,大気に含まれる窒素を利用できるのです。これらの植物ならば火星でも花開き,実をつけるでしょう。
堆肥菌が生み出す資源
人が生活するようになれば,必ず食べ残しや排泄物などのゴミが出ます。これらには,植物や動物のからだをつくっていた有機物や窒素・リン・カリウムなどのミネラルが豊富に含まれているものの,そのままの状態では植物は吸収できません。ここで活躍するのが,ゴミを分解してくれる生き物「堆肥菌」です。堆肥菌にゴミを分解させ,レゴリスに混ぜれば養分たっぷりの土ができます。その土に農作物をたくさん植えて収穫するのです。収量が増えれば,火星で生活できる人が増え,大量の肥料ができるというように循環が始まります。このように循環型の環境ができれば,火星で自給自足の生活が可能となるはずです。
日本人の発想が宇宙農業を可能にする
堆肥菌の中でも,100℃という高温で生きられる堆肥菌を使ってゴミを分解し肥料にする技術「高温好気堆肥化」は,日本が独自に発展させてきたものです。高温条件下で空気を使って堆肥化することで,食べ残しや排泄物から出る特有の臭いや,病原性の微生物の繁殖を防ぐこともできます。緊急事態が起きたとき,地球からの救助を待つことのできない火星では,これらの作用も重要な意味を持ちます。堆肥化には食料だけでなく,環境を安全に保つ効果もあるのです。かつての日本人の日常生活に,宇宙の未来の生活を豊かにするヒントがつまっています。堆肥菌のシステムに加えて,重力が小さい場所での植物の育ち方や最適な食事献立など,火星での生活環境をよりよくする「宇宙農業」に関する研究を広く行う山下さん。「自分の持ち味を活かして,他人にはできないものに力を注ぐ」。世界の研究者の目が輸送手段へと向くなか,独自の視点でそれを補う研究を進めています。いつか,宇宙農業が宇宙探査のさまざまな場面でなくてはならない存在となるはず。近い将来,山下さんの想いとともに,日本の伝統技術が宇宙へと飛び立っていくでしょう。(文・設楽愛子)
山下 雅道(やました まさみち)プロフィール:
1971年東京大学理学部化学科卒業,1976年同大学にて理学博士号取得。その後,東京大学宇宙航空研究所,宇宙科学研究所に所属しながら1980年にエール大学へ出向し3年間アメリカで過ごす。2003年から現職。
ホームページ:http://surc.isas.jaxa.jp/space_agriculture/