数学を通して世界を眺める|巳波 弘佳

数学を通して世界を眺める|巳波 弘佳

関西学院大学 理工学部 准教授

指揮者やオーケストラなど,複雑な動きをする人物が多く登場するテレビアニメ『のだめカンタービレ』では,コンピューターグラフィックス(Computer Graphics:CG)が利用されている。その中で最も複雑で難しい「ピアノを演奏する手の動き」を,巳波弘佳さんたちは再現した。

アニメに使われる最新技術

パラパラ漫画でスムーズな動きを表現するためには,動きをできるだけ細かく分解し,たくさんの紙を使えばいい。同じようにアニメでも,「フレーム」と呼ばれる静止画の数を増やしていく。科学的には,目と脳がスムーズに動いていると錯覚するためには毎秒12フレームが必要であり,毎秒70フレーム程度が認識能力の限界だという。ピアノを演奏するシーンでは,細かく素早い指先の動きを表現するのは「絶望的」といわれるほど難しい。そのため,これまでは指先が隠れるような演出を加え,手元を出すことを避けていた。そんななか巳波さんたちは,人間工学の専門家やプロのピアニストと連携することで指先の滑らかな動きをCG技術で再現することに挑戦したのだ。今回使われたのは,ハリウッドのアニメなどでも注目されている「モーションキャプチャ」という技術だった。設置された何台ものカメラによってからだに付けたマーカの動きをとらえ,そのデータを解析することでコンピューター上に動きを再現する。巳波さんたちは,プロのピアニストの指先から肩にかけて,全身で71か所,鍵盤も合わせると163か所のマーカを取り付けて演奏してもらい,データとして取り込むことにした。

ポイントは,数学的な視点

しかし,実際に解析を進めてみると,ピアノを演奏する指先の動きは速すぎて,1秒間に120フレームでも追いつくことができなかった。そのため,1フレームのずれが数cmのずれにつながり,結果として指の区別や動きが識別できないほどにデータがぐちゃぐちゃになってしまう。そこで利用されたのが,数学的な解析だった。人間工学の専門家からの意見を取り入れながら,「人の指の動き」として数学的な観点から合理的かつ自然な対応づけをすることで,データを補正し,整えていく。「でも,理論通りには行かないことも多い。あぁ,こういう欠落の仕方もあるんだ,こういう歪み方もあるんだと,あちこちからモグラたたきのように問題が出てくるたびに,つぶしていくんです」。難しい分,やりがいもあり楽しかった,と当時の様子を振り返る。

世の中の基盤をつくる数学

巳波さんが数学の魅力にのめり込んだのは,中学生の頃だった。図形の証明問題を解きながら,論理を組み立てて証明していくことのおもしろさを知ったのだ。雑誌に載っている投稿用の難しい問題に友人と挑戦していたという。大学に入ってからは,カフェで朝から晩まで,コーヒーとドーナッツひとつで数学の定理を考え,その証明に熱中していた。現在は,研究室に所属する学生20人とともに,それぞれの研究テーマを通して,独自の視点から社会現象を数学的な視点でとらえ,表現することを日々楽しんでいる。たとえば,エレベーターの待ち時間を減らすためにはどのようなプログラムが最適か?テーマパークで発生する待ち行列をうまく制御するにはどうしたらいいか?こんな課題も,数学的な視点から解決策を出すことができる。さらには,ウイルスや噂の広まり方や,友だちが多い人と少ない人がいる理由など,人間関係までもが数学で表され,シミュレーションや解析することができるそうだ。「数学って何の役に立つの?難しいんでしょ?という反応を受けることも多いんです」。しかし,私たちの身の回りには数学がたくさん使われている。数学で記述することで,もっともっと理解が深まることもあるだろう。ちょっとしたアイデアも,数学的な視点・表現をすることで,万物に応用できる発明になる可能性を秘めているのだ。「世の中の人みんなに,数学の重要性とおもしろさを感じてほしいですね」。そうにこやかに語る巳波さんの研究室では,数学的な視点で社会現象やサイエンスを切り取ることに熱中している学生たちが,常に議論をくり広げている。(文・石澤敏洋)

巳波 弘佳(みわ ひろよし)プロフィール:

1992年東京大学理学部数学科卒業。京都大学にて,博士(情報学)取得。NTT情報流通基盤総合研究所勤務を経て,2002年より関西学院大学理工学部情報科学科に着任。離散数学・最適化理論の研究や,通信ネットワークに関する研究開発に携わる。「(数学を武器に)おもしろそうなことはなんでもやる」をモットーにしている。