自然からの使者、コアジサシ|北村 亘

自然からの使者、コアジサシ|北村 亘

東京大学大学院農学生命科学研究科生物多様性科学研究室博士後期課程

5月になると,羽田空港近くの広い空にするどい羽を持つ白い鳥が舞い始めます。海の埋め立てや護岸工事などで繁殖地を失い,年々数が減り続ける絶滅危惧種のコアジサシです。北村亘さんは,彼らの保全活動と研究から,自然と人間が共存する未来を模索しています。

研究者ができること

コアジサシは,チドリ目カモメ科のアジサシ(鯵刺)の一種。海上でホバリングし,ねらいを定めて刺すように海に飛び込んで魚を獲るため,こんな名前がつけられました。冬は暖かいオセアニア地域で過ごし,繁殖期にあたる5~8月は日本で過ごします。砂浜や海岸沿いの砂利地に巣をつくる習性がありますが,日本ではそれに適した場所が減少したため,その数は激減してしまいました。そんな中,2001年6月,羽田空港近くの水処理施設「森ヶ崎水再生センター」のコンクリートむき出しの屋上で,コアジサシの巣が発見されました。この数少ない東京湾の営巣地を守ろうと,NPO法人リトルターン・プロジェクト(Little tern=コアジサシの英名)が立ち上がり,市民による保全活動が始まりました。修士1年の頃,北村さんはこの森ヶ崎に注目し,コアジサシがどのような場所で営巣するのか研究を開始しました。しかし,この施設以外の営巣場所がなかなか見つからず,比較検討ができないため研究を断念しようと考えたときです。そこで研究室の仲間に言われたことは,「君はやめればそれでいいけど,コアジサシはどうなるんだ」。保全活動に取り組む人たちの危機感の高さ,コアジサシが減少する様子を目の当たりにしていた北村さんは,「研究テーマとして続けることは難しい。でもコアジサシの保全のために,研究者の自分だからこそできることをやろう」と決意したのです。

緑だけで多様性は生まれない

「この活動を通して,裸地生態系の重要性を知ってほしいと考えています」と北村さんは語ります。裸地とは,植物の少ない土地のこと。生物の多様性を保つには,多様な生態系が存在することが重要です。緑化や植林などで,緑の生態系を守ることは重要視されていますが,コアジサシが営巣するためには砂利や砂地を用意しなければなりません。「人と自然の共存には,すでに人間が活動している場所にも多様な生物が暮らせる多様な環境をつくっていかなければなりません。コアジサシの屋上営巣地は,新しい共存のかたちを考えるヒントになります」。しかし,場所をつくるだけでは,本当の保全にはつながりません。実は今年,「森ヶ崎水再生センター」からコアジサシは1羽も巣立ちませんでした。原因はカラス。森ヶ崎にコアジサシの卵やヒナがいることを覚えられてしまったため,せっかく産まれた卵やヒナが捕食されてしまうのです。このような事態をひとつひとつ防いでいかなくてはなりません。

小さな一歩が未来を拓く

北村さんは今,カラスを傷つけることなく,襲来を防ぐ方法を考え始めています。着目したのは,コアジサシが集団で外敵を追い払う「モビング」という行動です。しかし,この行動もわかっていないことが多く,同じ営巣地のすべての個体が行うものではありません。どのような個体がモビングを行うのかを調べたいのですが,これまではその方法がありませんでした。そこで,北村さんは巣に入れても邪魔にならない小型温度ロガー(温度をモニタリングする装置)を用いて,巣の内外の温度差から各個体がモビングを行っている時間帯を調査するという,誰も試したことのない新たな手法で研究を始めたのです。温度ロガーは非常に高価。しかし,「本当にうまくいくかはわからないけれど,あれこれ考えてもしょうがない。まずは第一歩を踏み出すことが重要なのです」。その結果,今年は温度ロガーを使ってモビングの様子を観察できることがわかりました。まずは,カラス対策の第一歩を踏み出したのです。「本当に生物が住みやすい環境とはどのような場所なのだろうか」。北村さんは,都市に迷い込んだコアジサシがもたらした,大きく深いテーマに立ち向かっています。わからないことや不測の事態は次々に起こります。でも,まずはやってみる。その積み重ねの先に,人と生き物が本当に共存する未来を,北村さんは描き始めています。(文・塚田周平)

北村 亘(きたむら わたる)プロフィール:

東京大学大学院農学生命科学研究科生物多様性科学研究室博士後期課程所属。また,NPO法人リトルターン・プロジェクト理事を務める。