沖縄を輝かせる研究を求めて|諸喜田 茂充
琉球大学 名誉教授
財団法人沖縄科学技術振興センター 理事長
エビやカニをかたどった沖縄の伝統工芸品,日本甲殻類学会がつくったというエビやカニの刺しゅう入りネクタイ・・・。甲殻類が大好きでたくさんのグッズを集めている諸喜田茂充さんは,地元沖縄を活性化するための技術と人を育てたいと願っている。
実験室でエビの一生を追う
テナガエビやヌマエビなどに代表される陸水産エビの多くは川で卵を産み,生まれたゾエア幼生は川を下って海や河口域でプランクトンを食べて育つ。稚エビまで成長すると,川底を歩いて川へ戻り,その後はずっと川で過ごす。諸喜田さんは,このようなエビがどこでどのようにして生まれ,何をエサにして育ち,繁殖するのかという生活史を研究してきた。野外で追跡するのが困難な小さな卵や幼生を実験室の水槽で飼育し,どのように成長していくのか,顕微鏡を使って詳細に観察していくのだ。エビの生活史はその種類によって特徴があり,生活史がわかっていないエビの場合は,その飼育方法から考え出さなければならない。たとえば,諸喜田さんの名前がつけられたショキタテナガエビは西表島にのみ生息し,日本に棲む陸水産エビの中ではめずらしく,卵から成体になるまでの一生を川で過ごす。さまざまな生活史をもつエビたちの飼育方法を考え,生活史をくわしく知ることは,希少なエビを保全するうえでとても重要だ。諸喜田さんは自分の研究を活かし,沖縄に棲む野生生物の生息状況を記載したレッドデータブックの作成にも携わっていた。
地元の水産業に貢献したい
諸喜田さんがエビやカニなどの甲殻類について研究しようと決めたのは,沖縄の水産業,特に養殖分野の発展に貢献したいという強い想いがあったからだ。大学卒業後も自らの信念を貫き,琉球政府農林局琉球水産研究所(現・沖縄県水産海洋研究センター)で,当時まだ沖縄で確立されていなかったリュウキュウアユやクルマエビの養殖技術の開発に取り組んだ。その際,日本全国の水産研究所や水産試験場を見て回り,魚介類の養殖について多くの知識と技術を学んだ。沖縄に戻ってからは,まずクルマエビの稚エビ生産に取り組み,量産化に成功した。これは,現在全国一を誇る沖縄のクルマエビ生産の草分け的な仕事となった。また,アユなどの魚類の初期エサとなるシオミズツボワムシの培養技術を持ち帰り,その結果,リュウキュウアユの養殖技術を確立することができた。琉球大学に戻った後は,これまで身につけた技術や知識を伝えることで多くの優秀な後輩たちを水産業の世界へ輩出している。
大学の研究と社会とをつなぐ
現在は,財団法人沖縄科学技術振興センターの理事長として,研究と社会をつなぐかけ橋となる人材「科学技術コーディネーター」の育成に取り組んでいる。沖縄県では,サンゴやマングローブ,柑橘類などの沖縄特有の地域資源の研究・調査が盛んに行われているが,その研究成果を地域で活用しようという動きは,まだあまり進んでいない。そこで,研究や調査で得られた成果と実社会の産業とを結びつけ,新しい商品や技術を生み出すことが求められている。現在,この育成プログラムに参加しているのは21人。22歳から67歳という幅広い年齢層の人たちが集まり,沖縄の資源を活用して新しい産業をつくるにはどうすればいいかを,日々話し合っている。その成果が出るのはこれからだが,諸喜田さんはどんなアイデアが出てくるのかを楽しみにしている。
沖縄から世界へ
さらに,諸喜田さんは「世界的産業を生み出せる人材を育てたい」と話す。地理的にアジアの中継地点として注目されている沖縄だからこそ,アジアへ,そして全世界へ目を向けて地場産業を活性化できる人材が求められているのだ。「沖縄に役立つ研究をしたい」という信念をもって魚介類の研究を続け,産業界に働きかけてきた諸喜田さんだからこそ,産業と研究をつなげる人材の育成にかける想いは誰よりも強い。(文・仲栄真礁)
諸喜田 茂充 (しょきた しげみつ)プロフィール:
1966年琉球大学文理学部卒業。その後,琉球政府農林局琉球水産研究所,琉球大学理工学部助手,琉球大学理学部助教授を経て2005年に琉球大学理学部教授を定年退職し,2006年より現職。京都大学にて理学博士を取得している。