火の玉ストレートを攻略せよ|彼末 一之
早稲田大学 スポーツ科学学術院 教授
ピッチャーから放たれた直球が,近づく。打てると思った矢先,ボールの軌道が予想より上を通過し,振られたバットが空しく宙を切る。プロ野球選手である藤川球児の球は「火の玉ストレート」と呼ばれる。それを打ち返す方法はあるのだろうか。
ココロとカラダは別物
速度は通常と同じだが,回転数が多いため揚力が大きく働き,落下距離が小さくなるこの球を打つには,「球ひとつ分上を振れば打てる」と考えるだろう。しかし,実際にスイングしてもなかなか思い通りには打てない。早稲田大学の彼末一之さんは,野球選手たちに協力してもらい,固定したティーの上にボールを置き,そのボール1個分上のところを30回ほど空振りする実験を行った。すると,くり返すことで振る位置は次第に一定になった。だが,バットの最も反発力が出る「芯」の部分を外してしまう選手が多かった。「理屈は前頭葉で考えるが,運動は小脳や運動野で調整される。脳内には,筋肉を適切な順番・強さで動かすための運動プログラムがあって,すぐには書き換えられないのでしょう」。
運動することで脳はつくられる
工学博士でもあり医学博士でもある彼末さんは,いま脳の運動プログラムに注目している。たとえば,バク宙ができる人とそうでない人がいる。できる人は頭でイメージするだけで脳や脊髄の神経が活性化するが,できない人は脳にほとんど活性が現れない。一からバク宙を練習するなど,新しい運動を覚えるまでの過程を調べればおもしろいことがわかるかも。彼末さんは今後,MRI,脳波や筋電位を測定しながら追うことで,脳の運動プログラムの構築のしかたにせまる予定だ。
アスリートが集まる研究室
「スポーツ選手と普通の人の差も見ていこうと思います。プロ野球選手の腕や肩の動きも分析して,トレーニング方法の開発につなげていきたいですね」と,彼末さん。スポーツ科学研究センターには,プロ野球選手などいい素質を持ったアスリートが大勢集まる。彼らと一緒にトレーニングメニューをつくっていけるのも魅力のひとつだ。スポーツ科学を制する者は,スポーツを制する。彼末さんの研究室から魔球の攻略法が生まれるかもしれない。(文・篠澤裕介)
彼末 一之(かのすえ かずゆき)プロフィール:
早稲田大学 スポーツ科学学術院 教授。1977年,大阪大学工学部修士課程修了。同大学医学部助手,助教授,教授,西独Max-Planck研究所生理臨床研究所客員研究員を経て,2003年より現職。