暗闇でキラリ、目が光に慣れるひみつ|河村 悟
真っ暗な小部屋,特殊なマスクを被って赤外線のスイッチを入れると,暗幕に覆われた顕微鏡と手術用のハサミが見えてくる。河村悟さんは,ここでコイやカエルの眼球を取り出し,光を照射したときの「視細胞」の電気応答を測っている。生物の教科書にある「目が光を感じるしくみ」は,こんなふうに暗闇の中で解明されているのだ。
瞳の奥の化学反応を見つめる
暗い部屋から急に外へ出ると,光が目にさし込み「まぶしい!」と感じるが,すぐに慣れてちゃんと見えてくる。これは「明順応」と呼ばれるよく知られた生理反応だ。これには,「カルシウムイオン(Ca²+)」が深く関わっている。眼球の中の網膜にある視細胞が光を受け取ることで,私たちは光を感じることができる。そのとき視細胞の中では,陽イオン濃度が下がる。すると,細胞の内側のプラスの電荷が少なくなり,外側に比べてマイナスの電荷を帯びる。この細胞膜の内外の電位差が,脳に伝わる電気信号となって,明るさを認識するのだ。
幸運の「目」神が微笑んだ
大学時代から「生化学」の分野で視細胞の研究をしてきた河村さんは,アメリカから戻ったあと,医学部の助手として慣れない「電気生理学」の分野に飛び込んだ。生物の組織や細胞の電気的な性質と,感覚など生理的な現象との関係を調べる分野だ。河村さんは,カエルの眼球から視細胞を取り出し,細胞膜の一部を破壊して穴を開け,細胞内の物質の濃度を外から自在に変えられるようにした。「明順応」は視細胞の中のCa²+ 濃度が低くなることによって起こる。この視細胞を使って電気応答を調べていると,視細胞内が高Ca²+ 濃度のときは電気信号が長く続くのに対して,低Ca²+濃度のときはすぐに終わってしまい,しかも,いったんCa²+ 濃度を低くすると,その後高く戻しても電気信号は長く続かないという現象を見つけた。「Ca²+ 濃度が高いとき,『電気信号を長続きさせる』ための何かが,Ca²+ 濃度が低くなったとき穴から外へ出てきてしまうのではないか」。予想は的中し,Ca²+ 濃度が高いと電気信号を長続きさせる「S- モジュリン」というタンパク質が見つかった。これこそが,同じ強さの光でも脳に伝える信号の大きさがだんだんと小さくなる,「明順応」のしくみに関わる大事なタンパク質だったのだ。生物の性質を化学的,電気的に捉える2 つの視点を持っていたからこその発見だった。
慣れない環境で学んだ,手を動かす大切さ
「研究に合う装置がなかったらつくれ」と学生に指導する河村さん。その言葉は自身の経験がもとになっていた。電気生理学の研究では,光照射の波長や光の粒子数,そして照射時間といった実験条件を正確に設定できる「光刺激装置」は自分でつくらなければならなかった。「電気回路を書いて配線したり,光が漏れないように光源を冷やすためのファンを取り付けたり,完成まで1 年半かかりました」と楽しげに当時を振り返る。今でも研究室の実験道具は自作し,壊れたら修理する。「ものをつくるときには,あれこれと考えて手を動かしているうちにかたちになっていく。研究も同じで,いろんな思考のパターンで考えてやってみることが大事」。手を動かすことで,「思考」のトレーニングにもなるのだ。
侵略のススメ
いま河村さんが注目しているのは,視細胞の「かたち」だ。明るいところで働く錐体と暗いところで働く桿体は,働きもかたちも違う視細胞だ。遺伝子解析の結果から,錐体から桿体へと進化したと考えられてはいるが,どう変化したかわかっていない。「視細胞のかたちを決めるタンパク質から進化を説明できるんじゃないかと,桿体と錐体のタンパク質を比べています」と進化の研究への侵略を企む。
日本で目の研究しているのは生物や医学系の研究者ばかり。ところが,海外では物理学や心理学をしていた人が目のおもしろい研究をしていたりする。「学生には,できるだけ今と離れた分野へ行って,そこを侵略してやれと言っています」。何かの役に立つから学ぶのではなく,幅広い経験をどう活かすかが,新たな発見を生み出す秘訣なのだろう。(文・瀬野 亜希)
河村 悟(かわむら さとる)プロフィール
1978 年,京都大学大学院理学研究科生物物理学専攻博士課程修了。理学博士。米ウィスコンシン大学研究員,慶応義塾大学医学部助手などを経て,1995年より大阪大学理学部教授,2002 年より現職。
http://www.bio.sci.osaka-u.ac.jp/dbs01/re-paper-temp.php?id=12