人は選択肢が多すぎると、選択することをやめてしまう植田一博

人は選択肢が多すぎると、選択することをやめてしまう植田一博

前編では、【 無意識の制約 】について書いたわけですが、ここで一つ興味深い話をしましょう。
例えばジャムの売り場を想像してみてください。
数十種類のジャムが配置されているスーパーです。 思わずワクワクしちゃいますよね。
そんな売り場が一つ。
一方、スーパーの一角にひっそりと、数種類しか置かれていない売り場を想像して下さい。

どちらが売れると思いますか?

これ、実は後者なんだそうです。

これはアイエンガ―という人の研究からわかったことなのですが、人は選択肢が多すぎると、選択する事すらやめてしまう。
それも無意識的に。
沢山あると選択肢の区別が難しくなるためにこういうことが起こると考えられています。

ワイン売り場で、沢山試飲出来るようなお店の場合も似た形になるようです。
沢山のワインを見て、飲んだ結果、それだけで満足してしまい購入しないそうです。

選択肢が多い・知識が多いということが、必ずしも良い結果を招くわけではないという事もあるということでした。

新しい事を生み出す事が出来るのは、専門家ではない!?

植田先生がセミナー等で披露すると、物議を醸すという話も興味深い視点です。

先ほどの選択肢の多さという所と無関係ではない部分に、イノベーティブなアイデアを出すのはいつもアーリーアダプターという話がありました。
アーリーアダプターというのは、新製品に真っ先に飛びつくのではなく、やや遅れて購入する人たちの事を表します。
真っ先に飛びつく人たちはイノベーターと言って、実際は技術者である場合が多いです。
オタクの多くもこのイノベータに当たると思われます。
アーリーアダプターは技術者ではなく、簡単な言葉で言えば「新しもの好き」という人たちの事です。

携帯電話にメッセージ機能がついた理由を知っていますか?

携帯電話にメッセージ機能がついた理由を知っていますかこれって実は、技術者のアイデアでついたものじゃないんだそうです。
元々のアイデアは、渋谷のチーマーと呼ばれた若者たちから来ています。
渋谷でポケベルが何故か大量に購入されていく。
一度に20個とか売れていくのだそうです。それも若者に。

何故だろうと思ったある人が、リサーチしてみると、どうやらチーマーたちが自分たちのコミュニケーションツールとして使っていた事が判明します。
元々ポケベルというと、電話番号を送るだけで、それを見た人がその番号に電話をするというように使われていました。
これをお互いにもつことで、チーマーたちは表示される番号を一種の暗号として利用してお互いに通信し、チームにおける互いのコミュニケーションのための道具として使うようになっていたのです。

その現象に目をつけたJ-Phoneが携帯電話にメール機能をつけたのが最初だそうで、技術者が発想して付けられたということではなかったという話でした。

これは携帯電話の例ですが、他の分野においても革新的な使い方・機能というものは技術を専門に取り扱っている人よりも、そこから1歩引いた位置にいる人の方が出しやすいのだそうです。
知識が多すぎる事や、自分たちが決めた使い方の枠から離れられない状態にいる技術者が、それを使った新しいアイデアに気付くと言うことは難しいのかもしれませんね。

余談ですが、最近の日本のIT企業がイノベーションを生むことが難しいのは、そういう1歩引いた位置にいる人のアイデアや意見が会社の中で重視されていないからではないかという話には、ありえるかもと頷いてしまいました。

植田先生について面白いと思ったのは、その研究テーマの見つけ方

なんであのおばさんはブランドにこだわるのかな?
虫のような生き物を捕まえる時に、優しく握るようにするという判断は、何を基準に行なっているのだろう?
散歩をしている時、近所の人の事を考えている時、自分が日常生活で「おや?」と思った事を解き明かしていきたいのだそうだ。

無意識の重要性

受験勉強を例に挙げれば、そこには答えがあり、答えを導き出す為の方法がある。
意識的に回答を導き出すという訓練は、学生時代から沢山繰り返しているのが日本人だ。
では逆に、イノベーションを生み出すような瞬間というのはどうやって作られるのだろうか。
植田先生は、無意識な過程が優位になっているはずだと話す。

世の中には答えがない事が沢山あふれている。
そういう時に使われる脳みその部分は、意識的に使う部分とはまた違うのではないかということだ。

実は植田先生の研究は実に多岐にわたる。
人の感情についての実験、それをロボットに置き換えるとどうなるのか。
生き物らしさとは?
日々の「おや?」を研究テーマに設定していると言う事で、誰にもとっつきやすく興味深いものが多い。

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著者の視点—————

書ききれなかったが、植田先生の研究は人間の脳という自らの中にある器官の働きを探求していて面白く、まだまだ謎の多い分野だ。
人の感情と好意という曖昧な物を探求するためにある人が組んだ実験系はこうだ。

  • 1:電話ボックスで後ろの人の事を考えずに長電話をする
  • 2:手荷物をその場に忘れて電話を離れる
  • 3:後ろの人に一声だけかけてその場を離れる
  • 3’:後ろの人に、一事かけ、肩にタッチしてその場を離れる

この「タッチ」があるだけで、荷物を置き忘れましたよと声をかけてくれる率が有意に高くなる。
  
植田先生はこの実験をもとに、更に一段突っ込んだ実験を行った。
コミュニケーションが可能なロボットがある。
このロボットは自分と人間に、お金を分配することを行う。
例えば1000円を分けることを考えよう。
500円:500円なら人間は了承する。
しかし、100円:900円となると、人間はムッとする感情が働くのだ。(それは脳の活動から判断するので、表情に出ていようが出ていまいが関係ないのだが)
そこで、分配する時にロボットが人間にタッチするように設計を変えてみる。
するとどうなると思う?このムッとするという感情が現れなくなる。

ロボットだよ?ロボット。
無意識レベルで明らかに違いがでる。これってすごくないですか。
人というのは、表現されるもので全てが構成されている訳ではないはずで、無意識や深層心理といった部分に、身体は左右されていると僕は思っています。
相手がロボットだったとしても、無意識レベルで違いが出るということであれば、これからの社会に生きる人達のQOLの向上に、いろんなインターフェイスを変更していくことで寄与できるのかもしれません。 

植田先生からのメッセージ

 

協同の知を探る―創造的コラボレーションの認知科学 (認知科学の探究)