2つのICTが社会を変えてゆく 森川博之
前編では、森川先生の学生時代を振り返ってみたが、後編ではその研究内容について掘り下げていきます。
–今の研究のキーワードについて教えて下さい
博士課程の時に学科長に呼ばれて、助手にならないかと言われた所から今のキャリアがスタートしているが、その時に与えられたテーマは「無線・携帯電話」。いわゆる通信という分野になる。それまで画像符号化の研究をしていたが、与えられたテーマに同意してから今に至っている。
ユビキタスという言葉の延長線上にM2M(マシンtoマシン)、IOT(Internet of Things)、ビッグデータ、サーバーフィジカルシステムといったキーワードがある。
リアルなものの情報をネットワークに取り込む。あらゆるモノがネットワークに接続する世界がそこにはある。
社会基盤としてのICT
高層ビルにセンサを仕込み、地震の際のひずみを計測する。ウェアラブルセンサによって高齢者の血圧を24時間ずっと計測する。農場にセンサを配置してデータを取得する。橋にセンサを設置して、劣化具合をモニタリングすることで崩落を防ぐ。道路に、下水道に、トンネルに、各種インフラをスマートにするためのセンサ技術とデータ集積術。これらに寄ってメンテナンスコストを軽減していくことが出来るのだ。
一つおもしろい例を挙げてもらった。
島根県のベンチャー企業が、牛に加速度センサを付けることによって、その発情期を知る仕組みを作ったという。オスがメスに覆いかぶさるという縦の運動に加え、オスがメスを敷地の中で追い掛け回す横の円運動を測定できれば、ほぼ100%発情期を知ることが出来るのだという。
シンプルな発想だが、そうやって酪農家の手間が減るのである。
技術だけじゃなく、その技術を使って社会をどう変えていくのか。そういう部分にキーがある。
エクスペリエンスとしてのICT
一方で支えていかなければならないというのが、ぶっ飛んだ・ユニークな・楽しい。そんなICTだ。
例えばi-modeやTwitter。出てきた当時は、誰も使わないだろうと思われていたようなもの。そういうものが社会を変えていくという可能性は十分にあるのだ。
「若い人にはとにかくぶっ飛んだものを”強い想い”で実現していって欲しい。」
こういったエクスペリエンスとしてのICTは、その時の上司には面白さが理解できるはずなんてない。わからないのだ。
森川先生の研究室でやっているテーマも、先生自身は面白さがわからないものが転がっているという。なんでそんなことやってるの?と学生に聞けば「面白いからですよ」と返ってくる。
そういうものを潰さずに育てて行かなければならないし、若手も何を言われても貫き通すスタイルで物事を進めていって欲しいと先生は言う。
過去の話で言えばビデオデッキが例に挙げられる
当時の主婦に、マーケット調査をしたのだそうだ。テレビを録画するというビデオデッキというものがあります。欲しいですか?と。
当時は、見たい番組があれば家に帰って見るというのが生活習慣だった。しかし、ビデオデッキの登場でこの生活習慣はガラっと変わってしまう。家に帰る必要性がなくなることでライフスタイルそのものに変化が生まれるのだ。
生活パターンが変わってしまうようなものは、作り手も、受け手も、それが無いうちは何が起こるかわからない。
しかし、開発者はそこを”強い想い“でブレークスルーしていかなければ、世界は変わらないのだ。