カリフォルニアの空に夢を重ねて 原 典孝

カリフォルニアの空に夢を重ねて 原 典孝

資金、キャリアパス、英語の壁。海外への研究者修行では不安なこと、考えることがいっぱいある。しかし、考えすぎていては動けなくなってしまう。そんな気持ちで今まさに、海外の武者修行へと踏み出した若手研究者に、自身の今を赤裸々に綴ってもらった。

原 典孝さん
UC Berkeley Visiting Researcher
神話の国、島根県出雲出身。大阪大学基礎工学部(戸部研)を卒業後、同生命機能研究科(難波研)に進学。博士課程では生体ナノマシンであるベン毛モーターの構築原理について研究している。将来はSF の世界に登場するようなナノマシンを作りたいと思っているが、その道のりはまだまだ長く険しそうである。フットボールフリークで、応援しているチームはガンバ大阪と松江CFC。


バークレーでの朝は大抵曇り。霧がかかっていてどんよりとしている。昼間になると雲たちはどこかに行ってしまい、カリフォルニアらしいカラっとした青空がやってくる。そんな場所に来て2か月が経った。不完全な英語、新しい分野での研究、ボスとのコミュニケーション、上手くいかないことばかりのストレスフルな毎日。まだまだ適応するのに精一杯で、はっきりいって留学の意義なんて考えていられないのが現状だ。

僕は今UC BerkeleyのChemistry DepartmentにVisiting Researcherとして在籍し、合成生物学の研究を行っている。なぜ研究留学に踏み切ったのか。「どうしても行きたかったら」としか答えようがない。新しい分野への挑戦、もともとあった海外への憧れ、自分の力を試したい、そういうものが積み重なって、行くなら今しかないと思い、今に至っている。留学することに対する迷いはなかった。それよりも挑戦しないまま、不完全燃焼で終わることへの不安の方が大きかった。日本でのアカデミアの職につこうと思うなら、海外留学する必要は特にないのかもしれないし、根なし草となって逆にデメリットになるのかもしれない。そういう価値観の元で計算したり、あまりにも失敗を恐れていては、留学に踏み切ることはできない。アメリカに来てまず感じることは選択肢の多様性である。企業で数年働いた後に大学院に進む人も多く、さらには大学をドロップアウトして起業する若者までいる。その他にも変な生き方をしている脳天気な人々がたくさんいる。要は世間体に囚われず、好きなコト、やりたいコトに挑戦しやすい価値観が社会全体に浸透しているような気がする。日本だと専攻分野を変更することだってレアだが、こちらでは至って普通である。ちなみに僕のルームメイトはCarnegie Mellonで米文学を専攻したのち、レストランのシェフを経て、現在バークレーでコンピューターサイエンスを学んでいる。こういった環境であるから、既存の形態に囚われることなく、分野横断的なダイナミックな研究が盛んになされることもよくうなずける。

海外で研究経験を積むことのメリットはなんだろうか。無論海外の有名大学にいるからといってすごい研究ができるわけではない。留学経験とクリエイティブな研究ができるかどうかに正の相関関係はないだろう。確かに日本では得られないようなコネクションや知識が手に入る可能性は高くなるし、学位留学すれば質の高い教育を受けることが出来る。僕はそれらにも増して、アメリカという国(もしくは他の国)の文化をじっくりと体験すること自体に意義があると思う。アメリカにおける選択肢の多様性を体験したことは、まさに視野が広がった瞬間であった。海外留学は日本的研究者のキャリア像からみると最早必須ではないのかもしれない。しかし、キャリアパスはそれだけではない。海外留学はそんな道を切り拓く1つの選択肢だとう思う。僕自身、バークレーの穏やかな天気の下、夢に向かって挑戦していることへの充実感は感じられつつある。