下請けから開発へ。進化する町工場
株式会社浜野製作所 代表取締役社長
浜野 慶一(はまのけいいち)さん
ジャパンブランドの象徴「モノづくり」を担う町工場。大手企業のグローバル化に伴う生産拠点の海外移転やコスト削減により、高度経済成長時代のように下請けとしてモノを作るだけでは生き残れない時代が到来した。そんな中で、下請けから試作開発へと事業をシフトし、産学連携でのモノづくりにもチャレンジする町工場がある。再起するジャパンブランドを支える、新しいモデルに迫る。
金型作りから試作開発へ
今年、東京スカイツリーの開業で注目を集める東京都墨田区。1980年代には、隣の台東区に数多くあったおもちゃ・人形・洋服問屋などからの発注を受けて日用雑貨の量産品を作る工場として栄え、1万社近くの町工場がしのぎを削ってきた。しかしながら、インターネットが普及したことで仕事の地域性は薄まり、バブルがはじけたことも重なって量産の仕事は地方や海外に流れた。結果としてこの30年で3100社にまで減少した。そんな状況の中で、浜野さんは1990年に浜野製作所の2代目社長となった。「東京でものづくりをしていくためには、今までのように金型を作るだけではダメ。試作開発が生き残る道だろうと考えました」。会社の存続をかけ中核業務を量産型の金型づくりから試作開発へと舵を切った結果、6年後には売上が10倍になり大きく成長を遂げている。
機械化できない技術を担う
浜野製作所の成長を担うのは高い溶接技術だ。同社が数多く手掛けるのは、試作開発の中でも板金と呼ばれる板の加工。量産品であれば、製造装置を作って自動化できるものの、小ロット生産である試作品開発は人の手が必ず必要になる。特に溶接は熱で金属を溶かして接合するため、素材の違いや厚みによって板が変形してしまう。それを防ぐためには、素材や厚みに応じて熱の伝わりづらい板のつなぎ方を工夫する必要があり、技術者の経験がものをいうのだ。
産学連携を通じてモノづくりの感性を磨く
試作品開発で広がったネットワークは新たな挑戦の機会を生み出す。2003年に墨田区が早稲田大学と産業振興の協定を結んだのをきっかけ
に、共同での電気自動車開発に着手した。「うちのような町工場でつくる部品は、納品してもそれがどこにどのように使われているかが実際はよくわかりません。そうすると部品の改善点を考えづらい。そこで、姿かたちが見え、自分たち試乗することもできる電気自動車のプロジェクトに参加したのです」。開発した電気自動車は墨田区にちなんで「HOKUSAI」と名付けられ、改良が進められた3号機はスカイツリーの周辺を走行している。そのほかにも、独立行政法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)の協力を得て深海探査機「江戸っ子1号」の開発にも挑戦するなど、自分たちの視野を広げ、技術を高めるために積極的に産学連携を活用している。
「モノが作れる」強みの先にあるもの
部品生産から試作品開発へと仕事を変えた浜野社長は次のチャレンジを見据えている。「試作開発を始めていろいろな方とお付き合いしていく中で感じたことは、やはり『モノが作れる』ことが当社の最大の強みであるという点です。その強みをいかして、製品の一部分の試作だけでなく、製品の全体像を見据えながらお客様と一緒に試作を進めていく原理試作にチャレンジしていきたいと思っています」。このスタイルには、専門知識とともに、クライアントとのコミュニケーションスキルや自分で道を切り開くマインドが必要になる。「5年前から少しずつ大卒の人が入ってきて、今年も修士卒の学生を1名採用しました。理系学生には今後の当社の変革を担う人材として活躍していってほしいです」。浜野製作所をはじめ、町工場には教授や共同研究先とコミュニケーションを取りながら課題解決を進めていく経験を持つ人材が少ない。浜野さんはその部分を担う人材として理系学生に期待しているのだ。グローバル化が進み、町工場のあり方も大きく変わる中、新しい価値をともに創れる人材を同社は今、求めている。
|浜野 慶一さん プロフィール|
株式会社浜野製作所 代表取締役 レーザーによる一品製作から、金型作りの金属 プレスまで、3次元の板金設計なども行う。複数の町工場、大学と連携して開発した深海探査船「江戸っ子一号」、日本テレビの年末特番「日テレロボットバトル」など、外部との様々な連携によりものづくりを推進。経済産業省「特定ものづくり基盤技術高度化指針見直し検討委員会」委員、「知識サポート・経営改革プラットフォーム研究会」委員、東京商工会議所墨田支部副会長など、墨田区の活性化にも積極的に参加。2011年東日本大震災、復興・復旧に尽力したとして経済産業大臣表彰受賞。