共同研究で 南極の謎を追求する 田邊 優貴子
総合研究大学院大学学融合推進センター 国立極地研究所 特任研究員(当時)田邊 優貴子さん
京都大学大学院から総合研究大学院大学へ転学し、学 位を取得。国立極地研究所の特任研究員を経て、現在 は東京大学新領域創成科学研究科。日本学術振興会特 別研究員PD。
南極の昭和基地の周りには100個以上の湖があり、湖底一面が森や草原かのように植物で覆われている。田邊優貴子さんは、博士課程で総研大に転学して以来、国立極地研究所に所属して神秘的な南極の湖沼生態系を探求し続ける研究者だ。その謎は、他分野の研究者の興味を惹きつけ、大規模な研究に発展している。
南極研究の夢をかなえる
南極観測で目にした、湖の底に棲息する藻類はあまりに神秘的だった。ある湖沼では、藻類が樹状に集合体をつくり、別の湖沼では層状になって棲息してい る。あまり知られていないが、南極には約2万年前に氷床が後退して形成された湖沼がいくつも存在している。それぞれが分断、孤立しているため、生き物の行 き来が極めて少なく、湖底の生態系は千差万別だ。そこで、田邊さんは、湖ごとに生態系を比較し、どうやって生態系ができ上がったのか、生物が進化してきた のかを観測によって調べている。
田邊さんが極地の研究者になったのは、旅が好きで、極地に憧れがあったからだ。学生時代にバックパッカーとしてアラスカに半年滞在した経験もある。
大学 院進学当初は実験系の研究室に所属していたが、博士課程の途中から総研大に転学し、極地でのフィールド研究に取り組んできた。これまで南極観測隊には2回 参加したことがある。「分子生物学や生化学の研究ではなくて、実際の生き物を野外で調べるような研究がどうしてもしたくて、北極の研究がで きるところを調べました。そのとき極地研究所の名前を知り、工藤栄准教授とお会いして話したら先生の専門であった南極湖沼のことが気に入ってしまったのです」。
博士後期課程2年での転学を決意してから、極地研究所に移る方法を調べ始め、総研大を知った。総研大に入学すれ ば、学生であっても極地研究所で研究することができる。
田邊さんはその仕組みを利用した。移った翌年にはベテラン研究者たちに囲まれながら第49次南極観 測隊に参加。戻ってきてすぐに博士論文をまとめ、北極観測、南極観測隊に参加と調査を続けている。
1人の限界を超える学融合の仕組み
総研大に転学し、学位を取得する頃になってからも、「南極のことをもっと知りたい」と思っていた田邊さんにはもどかしい気持ちがあっ た。フィールド研究者である自分1人ではできないアプローチがいくつもあったからだ。1年の半分を極地で過ごす田邊さんの周りにいるのは、フィールド研究者ばかり。そんな彼女に共同研究を勧めたのは、総研大の学融合推進センターでコーディネートをしている渡辺正勝教授だ。渡辺さんは田邊さんの学位取得時に、総研大が卒業生に授与する総研大賞の選考委員をしていた縁があったため、
田邊さんの研究のことをよく知っており、研究を大きくしたいという希望も承知していた。渡辺さんが利用を勧めたのは学融合推進センターで行われていた学融合研究事業への申請だ。総研大は16の大学共同利用機関にて教育研究を行っ ており、これらの機関で行われている研究を融合させ、新分野を開拓することに力を入れて学内公募事業を行っている。
渡辺さんは共同研究先として数理モデル を用いてプランクトンの生態研究をしている佐々木顕教授に田邊さんのことを紹介した。佐々木さんが田邊さんの博士論文を入手して丹念に読み込んだところ、研究のアイデアがどんどん浮かんだという。直ちに田邊さんに連絡をとり、総研大の学融合研究事業公募型共同研究への 申請を呼びかけた。締め切りが目前にせまっていたが、3日間で共同研究のコンセプト設計をし、申請書を書き上げ、提出した。「できるときはあっという間でした。お互いやっていることは全く異なっていましたし、共通点は『水圏』『藻類』くらいで、これまで見たことがないタイプの研究者でした。しかし、話して みるとウマが合って、湖底の生態系も興味深かった。「分野の離れ具合がちょうどよかったと思います。手付かずのテーマがどんどん見つかりました」と佐々木さ んは言う。一方の田邊さんにとっても驚くことが多かった。自分にはできないアイデアが提案され、新しい仮説が組み立てられていくことに興奮した。
壊しては創る喜びがある
こうして、総研大にて南極湖沼の藻類群集の生態を生理生態学のアプローチと理論生態学のアプローチから解明するプロジェクトが発足した。プロジェクトのメ ンバーは6名。フィールド研究者である工藤さん、田邊さん、紫加田知幸さん、理論研究者の佐々木さん、水野晃子さん、実験系を持つ山道真人さんだ。佐々木 さん、水野さん、紫加田さんはプランクトンに注目してモデル解析を行っていたが、今まで誰も南極の湖のデータで検証したことはなかった。数理モデルの知識 を動員して、南極の湖沼のデータを解析すれば南極研究と数理生態学の双方にとって、新しい知見が得られると期待は高まった。実際に研究をはじめてみると、最初の仮説は次々と塗り替えられていった。月に1度、総研大学融合推進センターのある葉山に各自のデータを持ち寄るのだが、フィールドで得たデータと数理 モデルが噛み合わないことが多々あったのだ。だが、観察データとモデルの食い違いは、重要な示唆を与えてくれるという。「仮説を創っては壊しの繰り返し」 であったと話す田邊さんに、つらそうな様子は全くなかった。「南極の生態系のことが知りたい」という共通の目標を持ち、新しい仮説を組み立てられることの 充実感を喜んでいる。同じラボ内の研究者とのディスカッションでは得られない刺激が得られることや、1人1人の得意分野を活かして、個人研究ではできな かったような大規模な研究が広がることなど、共同研究によって得られるメリットは大きい。学融合推進センターの後押しを得て、田邊さんの夢は大きく前進した。(文 篠澤裕介)