核から出て、また、核に戻るpiRNAの研究
「piRNA」という言葉を聞いたことはあるだろうか。Piwi-interacting RNAの略で、2006年に見つかった新しいカテゴリのRNAだ。この30塩基程度の短いRNAが、生物にとって重要な役割を担っている。このpiRNAの作動メカニズムを研究している慶應義塾大学の齋藤さんにお話を伺った。
遺伝子の働き方を決めるもの
生き物の設計図ともいわれる、DNA。細胞の核内に存在し、約22,000個の遺伝子が働いて様々なタンパク質を生み出すことで、私たちのからだをつくっている。
私たちのからだは、最初はたったひとつの受精卵から始まる。そこから分裂を繰り返して細胞の数が増えていくとともに、この部分は将来脳になる、別の部分は消化管になる、といったように、部位ごとに大まかな役割が決まっていく。そして、脳の中でもニューロンやグリア細胞、アストロサイトなどといったように細かい役割を持つ細胞へと分かれていくのだ。
このように細胞の役割が分かれていく際、DNAの配列は変化しない。それにも関わらず、役割を変えられる理由はなんだろうか。実は、DNA配列の他に、遺伝子の働き方を決める要因があるのだ。そしてそれは、細胞分裂を経ても残り続けるものである。
DNA配列の変化以外の要因によって遺伝子の働きがどう変化するかを研究する学問を「エピジェネティクス」と呼ぶ。齋藤さんが研究をしているのは、中でも「piRNA」という、タンパク質にならずRNAのまま働く分子だ。
子孫を残すのに必要不可欠な物質:piRNA
piRNAは、生殖に働く細胞のみで働く、30塩基程度の短いRNAだ。piRNAの設計図となる遺伝子が変異すると、その個体では生殖巣が正常に形成されず、子孫を残せなくなる。この時何が起きているかを調べてみると、生殖細胞の染色体全体にわたって、遺伝子が壊れてしまっていることがわかった。つまり、piRNAは遺伝子の破壊を防いでいたのだ。
では、何が遺伝子を壊していたのだろう?その犯人は、トランスポゾンと呼ばれる「動く遺伝子」だった。トランスポゾンは、ヒトのDNAの45%をも占めるとされており、染色体上のこの場所から別の場所へといったように、居場所を変える働きを持っている。この時、何らかの遺伝子の内部に入り込んだ場合、その遺伝子が壊れてしまうことがある。piRNAは、このトランスポゾンの移動を抑えることで、生命の連鎖のための重要な役割を担っているのである。
地道に丁寧に、メカニズム解明を目指す
今までの研究結果から、piRNAは複数がつながった長い状態でDNAからコピーされ、そのまま核を出た後、バラバラに切断されて短くなってから核内に戻るというふしぎな動きをすることが分かっている。その過程とトランスポゾンの移動抑制には、様々なタンパク質が係わっていると考えられているが、その詳しいメカニズムはまだ分かっていない。そこで、齋藤さん達は、関連するタンパク質を調べることによって、piRNAのしくみを解き明かそうとしている。
例えば、長い状態のpiRNA前駆体が核から出た後、どのように切断されて短いpiRNAになるのか。それを調べるため、piRNAにくっつくタンパク質を調べあげ、それをひとつひとつ働かなくしたときにどうなるかを丁寧に調べている。ひとつのタンパク質の働きを、そのタンパク質のDNAの配列を人工的に変えたりするなどして抑えては、他のタンパク質だけで何がおこり、何が起こらないといった事を調べる幾つもの実験を行ってpiRNAがどのような状態になっているかを推測し、また次のタンパク質についても同様に調べる。それは、とても根気のいる研究だ。
自らの研究について、齋藤さんは「地道な仕事」だと表現した。piRNAによるトランスポゾン制御の全体メカニズムは、今は未知の世界。関係しているタンパク質ひとつひとつが、いつ、どこで、何をしているのかを明らかにしていく。遠回りに見えるかもしれないが、急がば廻れ、タンパク質の情報が集まれば、自然と全体のメカニズムが見えてくる、と齊藤さん達は考えている。
コミュニケーション能力は、将来、何をしていても役に立つ
最後に、研究者を目指す高校生へのメッセージを聞いた。齋藤さんは「とにかく楽しく、アクティブに過ごしてほしい」と言う。更に、色々な人とコミュニケーションを取ることが、自分がしたい事を見つけることにも、そして、その後の人生にも役に立つと、アドバイスをくれた。
インタビューを通して、筆者は齋藤さんの研究分野における、研究の進展の速さに驚いた。1日単位での競争の中で、次々と新しい事が発見され、メカニズムのモデルは短期間で大きく様変わりするという、すごいスピードである。piRNAの仕組みが解明される日は近いのかもしれない。