「本帰国が決まったわよ」の一言から全ては始まった。

「本帰国が決まったわよ」の一言から全ては始まった。

常夏の太陽の下、のびのびと育っていた私・・・
日本人だということは、分かっていたつもりだった。でも、物心がついたころには、シンガポールに住んでいて、周りの人が「シングリッシュ」を話、ドラえもんは中国語、決まった時間にコーランの読み上げがテレビで流れる。それが私の「ふつう」だったのだ。

小学校の入学式のときには、君が代は歌えなかったけど、シンガポール国家は堂々とマレー語で歌える。そんなちょっと変わった日本人の子供になっていた。だから、母親が嬉々とした表情で「本帰国が決まったわよ」と言い放った時には、私の頭にはハテナがたくさん生まれていた。

日本人だけど、日本という国は2年に1回、夏休みに帰るところ。おばあちゃんが住んでいる国という認識しかなかったのだ。慣れというのは、恐ろしいものである。子供の私には、住んでいる時間の長い国が自分の国。一度だってそれを疑ったことはなかった。その常識がガラガッシャ~ンと音をたてて崩れていった。このような衝撃を私はこの後の人生で何回も経験することになるとはその時には、思いもしなかった。

行き当たりばったり、どんなことにぶちあったっても並大抵のことでは驚かない図太さは、この頃から知らず知らずのうちに育まれていたのかもしれない。自分が当たり前と思っていることは、いつ何時壊れてもおかしくないないのだということを身体で分かっている。だから、研究をしていた時も、仕事をしている時も『まずはやってみる』から始まっている。

親がタイに駐在になったので、とりあえず、タイのインターナショナルスクールへ入学する。みんながアメリカの大学へ行くから、英語が通じるし面白い動物がいそうだからオーストラリアへ、親が住んでいるからタイで就活、博士課程に入るから日本へ、そして、こんな奇妙な経歴を持った私を受け入れてくれそうだからリバネスに入社。

「シンガポールから帰りたくない」と泣きながら機内で母親に訴えていた私は、時を経て今年の10月、シンガポールのお隣の国でリバネス・マレーシアを立ち上げた。子供の時の経験から培った『とりあえずやってみる』の作戦は今のところうまくいっているようだ。あの時は、気がつかなかったけれども私の人生は『自分の中の常識』をぶっ壊されるところから始まった。