【産官学諤】アカデミア、企業、政治家、あらゆる人を繋げ研究を進める 筑波大学 裏出良博教授
「カタログで売っている装置や試薬を集めて研究するだけなら誰にでもできるやろ。測れるから測る、ではつまらん。新しいものをなんとか測る方法を作る。それでこそオリジナルの研究ができるんや」。2013年9月に筑波大学に移籍したばかりの裏出良博氏は、力強い関西弁でそう話した。奈良県生まれ、京都で学位を取り、大阪で研究を続けた生粋の関西人は、持ち前の明るさと交渉力で、自らの「やりたい」に町工場やソフトウェア企業を巻き込み、睡眠学研究を推進してきた。
博士取得後、睡眠学の入り口に立つ
裏出氏が主たる研究対象としているのは、様々な生理活性を持つプロスタグランジン(PG)の中でも、中枢神経系で睡眠調節に働くPGD2だ。この分子を中心として、睡眠と覚醒の分子メカニズムの解明、神経回路の解析、また睡眠機能を改善する食品の開発などを行っている。「僕が睡眠の研究を始めたのはね、博士課程を終える頃に主任教授の先生が急に研究テーマを鞍替えしたんよ」。当時、師事していたのは早石修教授。オキシゲナーゼやポリADPリボースなどの発見を行った酵素学の権威だ。その早石教授が1983年、63歳の時に京都大学の定年と同時に新技術開発事業団(現・科学技術振興機構)のERATOプロジェクトを立ち上げ、酵素学から睡眠学へとテーマ替えをした。その時のことを、裏出氏は笑いながら話した。「僕についてくれば研究費に困ることはないが、今の仕事を続けるなら知らん。さぁ、どうする?ってね」。
研究者のプライドと、職人のプライド
当プロジェクトの研究員として研究を行いながら、1987年、大阪市制100周年の記念事業としての大阪バイオサイエンス研究所の設立に参加した裏出氏は、その後、アメリカのロシュ分子生物学研究所、日本チバガイキー国際科学研究所の研究員を勤め、再び大阪バイオサイエンス研究所に戻ってきた。そして、睡眠研究に本格的に参入し、マウスの脳波測定技術を得るため、米国、フランスやスイスなどの多くのラボを訪問した。脳波による睡眠の測定は、1924年Hans Bergerによる脳波の発見、1937年Alfred Loomisらによるヒトの覚醒睡眠脳波の記録から始まる歴史のある技術だ。しかし、対象がマウスになると、小指の先ほどのサイズの脳、30g程度しかない体重が枷となり、誰にでもできる技術ではなかったのだ。訪問先で見たのは、スイス製時計の中のネジ、フランス製プラモデル飛行機のプロペラの軸などを寄せ集めて作ったマウスの行動に負担をかけないオリジナルの測定装置。
「そんなものを日本で集めたら大変やろ。だから東大阪や京都の町工場に同じものを作って欲しいって頼み込んだんや」。儲かる仕事ではないかもしれない。でも、世界一の精度を誇る日本のものづくり技術で作った装置なら、世界一の研究ができる。そう説得し、国内で部品を揃えていった。「彼らもプライドを持ってるからね。自分が作ったものがちゃんと動き続けてるか、定期点検もしてくれたよ。おかげさまで、20年以上使い続けられてます」。その東大阪や京都の職人のものづくり精神と同じように、研究も失敗のリスクを恐れず、今までに無いものを作るのが一番楽しい。そのために、挑戦し続ける雰囲気をいかに作るかが大事だと語った。
良い物を作り、市場を開拓する
その後、PGD2による睡眠調節系に関わる研究を続けていた裏出氏は、各国の睡眠研究でトップを走るラボごとに脳波の解析プログラムが異なり、データの統一性がなく共有が図られていないことに気づいた。しかも当時はデジタル脳波計が普及しておらず、ロール紙への記録が主流だった。「マウスの脳波を2日取ると、長さが1.8kmにもなったよ」。
このままでは研究がはかどらない。しかし、研究所の内部でデジタル脳波計を開発する力などない。「そしたら、また外の誰かに頼むしかないでしょ」。日本で最初に脳波計を作製したNECメディカルシステムズにDVDデジタル記録装置の試作機を借り、バブルが弾けて同部門がGE社に売却された後にはキッセイコムテックを紹介してもらい、裏出氏自身も睡眠覚醒現象を捉えるための解析方法を考案。取得データサイズを減らしながら効率的な解析を行うソフトウェアSleepSignを開発した。このソフトは、徐々に世界の市場に広まり、ラボ同士でデータを用いたコミュニケーションが図れるようになっていった。「こっちは、儲けさせてあげられたかな」。裏出氏はニヤリと笑う。
人を巻き込み、社会を巻き込む
そうして、自分の専門とは異なる人と関わり続けながら研究をしていると、やりたいことがたくさん出てくる。小型のヒト用脳波計を開発し、その利用法を考えるうち、「眠りを良くすることを謳う漢方薬はたくさんあるのに、効果を定量化できていない」と気づいた。そこで農研機構のイノベーション創出基礎的研究推進事業で「睡眠改善機能食品の開発」課題に取り組み、脳波解析システムを企業へ開放。結果、データに裏付けられた「快眠食」で数多くの特許を出願中である。今や9人にひとりが常用しているとされる化学合成された睡眠薬は、すべて海外で開発されたもの。薬に頼らず、食事やサービスなどで快適な睡眠が得られるようになるのではないかと考えている。
また、コンゴからの留学生だったBruno Kilunga Kubata氏が、アフリカ睡眠病の原因であるトリパノソーマがPGD2を作ることを発見。現在はBiosciences eastern and central AfricaのCEOを務めるというKubata氏らと共に、ウズベキスタンの薬草成分がトリパノソーマ感染症の治療薬になることを見出した。「高崎健康福祉大学にいる昔の同僚の合成化学の教授に“できる?”って聞いたら、安く作れたのよ。これ、どうにかしてアフリカに配るしくみを作れんかなぁ」。
夢を追い、互いに手を組み未来を拓く
やるとなったら、とことんやる。でも、自分ひとりでできることは少ない。だから人に夢を語り、仲間を作る。「アカデミアでも、企業でも、政治家でもええ。みんな、もっと交流しないと。理系、文系なんてナンセンスや。あらゆる人を繋げていくよ」。裏出氏は、そうやって20年以上も進んできた。多様な人材のチームを維持すれば、それを心地よいと感じて、さらに多様な人が集まってくる。そこから、新しい何かが生まれ続けるのだ。「うちのチームにはサラブレッドはいない。でも、ルール無しの場外乱闘なら、どこにも負けんよ」。