引っ込み思案な私なりのリーダシップ
小さな時、私は領収書を書く人になりたいといっていた時期があった。中学では、通訳。高校生になると、宇宙飛行士とコロコロと将来何をしたいかの職業は変わっていた。しかし、ただの一度も会社の社長というのは選択肢に上がっていなかった。しかし、2013年10月14日、私はリバネス・マレーシアの代表になった。
私が修士を卒業するころに父が独立し、個人事業主になった。その時は、あまり会社の代表がどうあるべきか?などその役職の責任についてじっくりと考える余裕はなかった。いろいろなタイミングや出会いが重なり気付いたらマレーシアの代表になっていた。自分が育てられた東南アジアのこれからの挑戦に現地の方と一緒に望めることに非常にワクワクしている。そして、そのワクワクする心だけは誰にも負けない代表になろうと思っている。
もともと心の中に秘めた火をメラメラと燃やしているのが小さいころからの自分の性格だ。例えば、小学生の頃ソフトボールの試合で初めてトーナメントに出た時。私は、何故か知らないけれど勝つぞという気合で試合に出ていた。そして、9回の裏守りでこれは本当に負けるかもしれないと思ったときに急に泣けてきたのだ。それを見た両親はびっくりしたらしい。一度も経験したことのないソフトボールの試合で地域一番の強豪との試合に勝つつもりで挑んでいた私の気持ちが信じられなかったらしい。特にそんな勝気な性格を学校の教室では見せたことがなかったからかもしれない。
スポーツをする時には、すぐに熱くなったりするのだが、仕事でメラメラをあまり外に出せていなかった。でも、これからの戦いに挑むにあたってはパッション、私の負けず嫌いな性格に火をつけジャングルで自分の進む道を切り開いていったようにリバネス・マレーシアの進むべき道を仲間とともに切り開いていくのだ。