昨今の科学教育論に思うこと

昨今の科学教育論に思うこと

科学教育論周りが(えんじょ…)盛り上がっていますね。もちろん敢えてツッコむわけですが、現場にいる皆さんはどう思われますか?

発端はちきりん女史。

下から7割の人のための理科&算数教育 – Chikirinの日記


反論がこんな風に

ちきりん氏のお粗末な科学教育論 – バッタもん日記


これに対する反応があって

「ちきりん氏のお粗末な科学教育論」に反射的に同意しちゃう人達の情弱っぷり


自分の頭で考えましたという文章がこれ。M2からD1へ進学するタイミングの人かな。

科学教育について、chikirin blog批判者への提案。 – たけちゅさん宅


スタートとして、ちきりんさんは「極論を展開」と言っているので、主張を極端にした文章だという事がわかります。

皆さんこのあたりについて、どう思いましたでしょうか?

以下は理系進学をして、理系人材だけでリバネスという会社を経営する立場から書いてみたいと思います。

リバネスで実験教室を散々やってきて思うこと

理科教育の方向性については、たけちゅさんの考え方に近いです。

子供たちって、理科だろうが国語だろうが何でも構わないのですが、興味関心を持ったらそこに突き進む。

僕らは「理科離れ」という言葉がメディアにでた頃に、何かの危機感を感じて、そんな事無かったことに出来たらいいなということで理科実験教室を始めました。これについては、勉強させる、という事に主眼を置くのではなく、サイエンスに興味をもつきっかけを与えるという事に重きをおき、興味を持ったら自分で勉強するんだよ、情報のリソースはこんなにいっぱいあるんだから。という感じで進めています。背中をそっとひと押しする、その程度で十分ですが、それが難しい。

「あたしに理科とか数学とか教えるの、ほんとーに時間の無駄!」

こう思わないような入り口を作りたいと思っています。やっぱり難しい事って、教えられている感覚から抜けられないと嫌になりますよ。これを覚えることに何の意味があるの?って思っちゃいますもん。それは理系に進んだって、違う分野にあんまり関心無いですという人がいるのと同じ。

自分で選択できる道を示せるか

ちきりん氏も、たけちゅさんも、自分で選択しましょという事に触れています。

何でもかんでも自分で調べられるかというと、中々そうもいきません。情報の欲し方も、間違えると僕みたいに超電導の勉強をしたかったのに物理学科じゃなくて電気電子工学科に入ってしまったりするんですね。(いや、すみません、これについてはただの調査不足だったと反省しています)

子供は、何かに興味をもった時が勉強のしどきであると、誰かが言っていましたが、その瞬間に適切にサポートできる人がいるかいないかというのは重要です。特に親が関心が無いと、分からない部分が大きくなりすぎて興味関心が育たなかったりもする。この辺りは、社会的にサポート出来る部分はあるだろうなと感じます。

理科教育論というよりは、教育システムの問題

  • 教養として、生きていくのに必要な情報をもっと時代にあったものにして全員に与えましょう。
  • 興味を持ち、勉強する意欲がある人には、それにあった教育課程を提供しましょう。

というシンプルな話であり、これは理系文系問わずだと思います。残念ながら文系の教育課程についてはよくわかりませんが、例えば法律に興味を持ち、それを伸ばすような社会的な基盤があれば、小学生で司法試験に受かったりするような事もあるかもしれませんね。

問題となるのは、今の日本には飛び級もありませんから、興味関心を伸ばしてイノベーティブな人材を育むような仕組みにはなっていないと言うこと。そもそもそういう仕組みが無いので、教師もそういった柔軟性を持ち得ない事でしょう。

教育の現場を変えるのには時間がかかりますから、このあたりのサポートについては民間の力で何とかしていくのが近道だと考えます。

オンラインで学べる教材(しかも無料)も増えています。これは今後も増えていくでしょう。

教育機会というリソースは、社会的資産として支えられていくはずです。

教育課程に乗らないような能力の育成については、義務教育の外に世界を作っておき、教育現場もそれを否定しないという共通認識が育つといいなと思っています。

「全員で同じことをやるのが平等だ」という歪んだ平等思想こそが、多くの人たちを不幸にしていると思うのです。

平等部分の敷居を下げる事で成長に多様性が生まれますね。教育現場ももう少し楽になると思うし、民間企業のビジネスのパイが広がる可能性があります。お金が無い人もオンライン教材の登場で選択の幅はそれなりに保たれるでしょう。

世の中にはわからないことがあふれてる

教師は答えを知っていて当たり前。子供たちの社会は答えで溢れています。

逆に言うと、大人もわからないことがあるということが教えられていません。

社会に出れば、様々な問題解決を行う事がお金という経済価値を伴って行われています。誰もが答えを知っていたら何も動かないのです。

科学教育というよりは、教育全般に言えることだと思うのですが、物に溢れ情報に溢れたこの時代に、何かに対して不思議に思うとか、答えを探し求めるような機会をちゃんと作ってあげること。世の中には、誰一人として分かっていない事が存在していること。生きていくにあたって、世界はまだまだ無限に広がっていいるということ。そんな当たり前のようでいて、改めて考える機会が無い事について、少しでも感じられるようになれば、人生という限られた時間を消費だけして生きていくという事は減っていくのではないかと、私は思っています。

現場の皆さんはどう考えますか?

理系に興味を持つ人を増やすなら、自分が興味をもったきっかけを紐解くのが一番だと思うので、色んな人に理系を志したきっかけを教えて欲しいのですが(よろしければコメント欄にどうぞ)、理系に進んだきっかけなんて些細なことじゃありませんか?

そして、それが運良く潰されずに成長出来た、それだけなんじゃないでしょうか。

全て義務教育で何とかなりますって思う人、あまり居ないと思うのですけどね。