「研究の成果によって、社会をより良くしたい」。そう考えて大学院に進む人は多いのではないだろうか。ただ、実際に研究成果を社会に実装するため必要なことを具体的に考えてみると、研究成果を「もの」として十分な量を製造し、販売などの形で人々の手に届けなければならない。そのためには、マーケティングや事業計画、そして資金も必要だ。それを進めていくのは、理系の大学院で研究をしている自分には無理なことなのだろうか?いや、研究が分かる理系人材だからこそ、力を発揮できる仕事があるのだ。ともに理系出身で技術の社会実装を進める、オムロンベンチャーズ株式会社代表取締役社長の小澤尚志さんと株式会社リバネス代表取締役CEOの丸幸弘、2人の博士の話を聞いてみよう。
Doctor of Philosophyには理系も文系も関係ない
小澤さんは工学の博士号を持って、今は技術系ベンチャーを支援するオムロンベンチャーズの代表という立場にいる。海外ではよく聞くけど、日本ではほとんど見ないキャリアですよね。
日本って、理系と文系をきれいに分けすぎているんじゃないですかね。Ph.D.って、哲学博士でしょ。海外の感覚だとそんな分類はなくて、個人の興味が社会科学なのか自然科学なのかというだけの話。変に分類せずに考えるから、自然科学で博士号を取りつつ、それを社会的にどう活かすかを考えて、多様なキャリアを歩むんだと思います。
僕は、理系の人たちが文系を意識しすぎている気がするんですよ。自分は技術の人間だから、市場価値とかマーケティングとかは「そっち側」の人が考えてよ、みたいな考え。一方で、ファンド運営している投資側は、文系出身の人でもテクノロジーに興味があるし、理解しようとしています。理解して価値を見極めないと、支援して世の中に広めるべきかどうかの判断ができませんからね。その中でも、小澤さんみたいな理系博士はやっぱり珍しいですよね。
私はもともと化学専攻で、大学ではセラミックスの研究をしていました。そして修士を出た後に就職して、材料系の企業で5年くらい働いていたんです。その企業で行われていた開発は、すべて既知の技術の組み合わせでした。そこでやはり最先端の研究をしたいと考えて、退職して助教として基礎研究に戻ったんです。ただ、リチウムイオン電池に関する研究を行って、もちろん新規性があったんですが、それを本当に世に出して社会を変えられるかというと確信を持てなくて。3年くらいやっているうちに、応用の世界に戻りたいと思ったんですよ。そこで博士号を取るのと同時にオムロンに入社しました。
もしストレートに博士課程に進学したら、今の職についていなかったかもしれません。一度就職して、開発した技術が世に出ていく様を5年間見ていたので、大学でやっている研究がそのままでは世に出ない、ということもわかったんです。
最先端のものづくりは、世に広まって初めて意味を持つ
ここまでのキャリアはずっと研究者だったわけで、オムロンにもいきなり事業開発ではなく、研究開発職で入ったんですよね?
そうです。当時、光ファイバー通信用の素子を作っていて、中でも有線LANを末端まで光化するための部品を提供するという新規材料の開発チームに入りました。それで良い材料を作ってデバイスの中に入れて、製品としてはリリースされたんです。ただ、売れなかった。理由はシンプルで、有線LANの光化なんて起こらず、無線に置き換わったわけです。新しいものを作ったけれど、そもそもみんな有線を使いたくなかったんですね。
その時の原体験から、技術の優劣だけじゃなく、規制や規格などの背景、経済性、社会的な要求なども考えないと意味がなくなってしまうという意識が強まりました。そもそも何のために技術を作るのかを考えないといけないわけです。それで開発だけでなくマーケティングの仕事にも関わるようになり、二足のわらじを3年くらい。そうしているうちに、技術を理解しながら、それをどう世の中に活かすかを考える専門家がいないんじゃないかと思って、自分がそれになろうと思ったわけです。
私がラッキーだったのは、2011年に技術部門を完全に離れて経営戦略部に異動したんですが、3年間は新規事業やベンチャーとは関係のない、オムロン自身の経営企画に携わったことです。その中で、どうやってものづくりを進めるのか、事業の価値付けをどう行うのか、経営を定量的にどう考えるのかといったことを学ばせてもらいました。
まさにリバネスの立ち上げと同じ感覚ですね。設立の頃は理科離れが認知され始めたり、遺伝子組換えが悪いニュースになったりと、研究者と一般社会との間で科学に関する認識の乖離が起き始めていた。このままだと自分を含めた研究者の立ち位置が危うくなってしまうんじゃないかと考えて、「科学技術をわかりやすく伝える」プロとして動き始めたのがリバネスです。
研究成果の社会実装にはコミュニケーターが必要だ
リバネスでは、科学技術を理解しつつ、教育やマーケティング、経営など相手のニーズに応じてきちんと価値を伝えるプロの職業として、サイエンスブリッジコミュニケーター®を育成しています。コミュニケーターというと科学館のイメージがあるけど、技術が世に出るまでには越えなければいけないデスバレーがたくさんあって、そこに橋をかけていくプロが必要なんですよね。
そういうキャリアがあることは、もっと伝えていってもいいですね。それに技術をわかっていれば、新しい課題やシーズを発見した時に、それが大きく広がって世界を変えられるかどうかと同時に「技術的にあり得るかな」と発想できると思うんですよね。そう考えられる人が、新しいベンチャーをつくったり、事業化したりと、研究成果の社会実装を進める力になるはずです。
小澤さんみたいな人材が投資側にいて、テクノロジーベンチャーの支援をやり始めたのは、いいですよね。例えばアメリカだと、Googleは積極的に新しい技術を開発したり、「技術で世界を変えるんだ」というメッセージを発信し続けています。さらにGoogleチャレンジのような、アドバイスや賞金を得られるチャンスをたくさんつくって、そこにテクノロジーやアイデアを持つ人材を集めて支援している。その結果、多くのベンチャーが「買収してくれないか」って提案してくるんですよ。資金投資して囲いこもうとするより、人を集めて支援することに労力とお金を回した方が、うまく回っているんです。
いい言葉でましたね!その通りなんです。リバネスは研究者集団だから、研究の大変さも、警戒しちゃう心もわかってるじゃないですか。だから、無理に囲おうなんて思わなくて、何か困った事があったり、本気で事業化したいと思ったらいつでも相談しに来てくださいねって言ってるんですよね。そういうスタンスで門戸を広げているのが、TECH PLANTERです。ものづくり、アグリサイエンス、バイオサイエンスの3分野で、すでに100以上のチームがアイデアを持ってきて、事業化に向けてチャレンジをしています。理系ベースのコミュニケーターがこの世界にもっと増えれば、もっとたくさんの技術が大学や企業の中から掘り起こされて、産業が活性化すると思いますね。
「おもしろい!」その直感を信じて前に進もう
新しい技術が世に広まったり、後に世の中を変えるようなベンチャー企業が生まれるとき、やっぱり重要なのはパッションを持った人なんですよね。仕組みからは、決して新しいものは生まれない。
オムロンはもともと工場の自動化から始まり、自動改札機や券売機といった社会システムに展開して、ヘルスケア、家電や自動車の部品へと広げていったんですが、過去の歴史を紐解いてみると、どこかに「伝説の人」みたいな人がいるんですよ。色々なハードルがあったけど、ある人ががんばって熱意を持って進め続けたから成果を出せたという、個人名が出てくるんですよね。
世の中の課題があって、技術があれば、じゃあ解決できそうだからやってみなよというと、みんな「誰が責任とるの?」ってお見合いしちゃう。パッションがある人は、そこで当たり前のように先頭に立って進められるんです。ではそのパッションはどう育つかというと、ワクワクする課題に出会えるかどうかかな。
何でもおもしろがることができるというのは、事業化人材の素養としてありそうですね。新しい技術とかを目にした時、「これがあれば世の中が変わるよね」って悩まず言える能力。先にリスクとかを深刻に考えちゃうと、できない理由ばかり思いつく。それよりも、できそうだな、できた後の世界はおもしろいな、とまず思えたら、次のステップに進めるんじゃないでしょうか。ただ、それをやるためにもベンチャーという環境は重要ですね。大企業では、そこまで身軽に動けない。
ベンチャーの醍醐味ですね。この課題、たぶんこの技術で解決できるよね、という直感的な発想で、研究開発を走らせることができる。人材流動の面でも、アメリカだと大企業からベンチャーに行く人もたくさんいるし、企業側もそれを支援してるんですよ。研究成果の社会実装を進めるために最適な場所で、最適な時期に働けるような文化をつくっていきたいですね。
(文・構成 西山哲史)