私たちの健康のカギをにぎる腸内細菌たち 大野 博司

私たちの健康のカギをにぎる腸内細菌たち 大野 博司

researchHeritageLogo「研究遺産」は,次世代にすべき研究の成果と,それを担った研究者が研究人生を懸けて培った哲学を,未来に伝えるためのプロジェクトです。

「菌が生きたまま腸に届く」。スーパーやコンビニの乳製品売り場で,こういったい文句のヨーグルトや乳酸菌飲料などをたくさん見かけるようになった。これらの商品に含まれているのは,乳酸菌やビフィズス菌など「善玉菌」と呼ばれるものたち。一方で,私たちの腸の中には,およそ100兆個,500〜1000種類もの細菌が棲んでいるという。

腸内細菌は,腸内で何をしている?

私たちのからだが外部と接する皮膚や粘膜面には,膨大な数の多種多様な細菌が常に存在する。こういった細菌の集団を「常在細菌」という。「内なる外」と呼ばれ,体内にあるにもかかわらず外界と接している「腸」にも,数多くの常在細菌,すなわち「腸内細菌」が棲んでいる。

彼らが,必須アミノ酸やビタミンなど私たちヒトの栄養として必要な物質をつくり出し,供給してくれていることなどは,以前から知られていた。しかしながら,「彼らにそういう能力があることはわかっていたが,本当にお腹の中でそういうことをしているか,ということがわかってきたのはここ10年くらいのこと」と理化学研究所の大野博司さんは言う。

菌について調べるとき,基本的には,さまざまな菌の集合体から目的の菌だけを分離し,培養して増やしてから行われる。しかし,これは「培地」という人間がつくり出した環境でのことだ。「培地の上で育てているときと,たとえば無菌で育てたマウスの腸に入れたときとでは,同じ種類の菌でもつくる物質が違ったり,遺伝子の働き方が違ったりすることがわかっています」。

健康な人は,腸内細菌のバランスがよい

腸内細菌の腸内での実際の働きを知ることができるようなった背景には,「次世代シーケンサー」の登場がある。これまでの方法は,目的の菌の単離・培養が前提になっており,そもそも培養が難しい菌や,集団の中にほんの少ししか含まれていない菌を解析することは,ほとんど不可能だった。しかし,次世代シーケンサーを使えば,さまざまな菌が混ざっている状態から直接DNAを抽出し,その配列を決定することができる。これによって,その腸内細菌たちが「集団としてどんな遺伝子をどれくらいもっているか」がわかるようになったのだ。

▲マウス小腸の走査電子顕微鏡写真。絨毛の突起があり,そこにひも状の細菌が粘膜に接着しているのが見える。これは通称「セグメント細菌」と呼ばれている細菌。円筒形の桿菌が連なりひも状に見えているのだ。(提供:理化学研究所 統合生命医科学研究センター 大野博司・宮内栄治)

▲マウス小腸の走査電子顕微鏡写真。絨毛の突起があり,そこにひも状の細菌が粘膜に接着しているのが見える。これは通称「セグメント細菌」と呼ばれている細菌。円筒形の桿菌が連なりひも状に見えているのだ。(提供:理化学研究所 統合生命医科学研究センター 大野博司・宮内栄治)

この解析によって,健康な人と病気の人,肥満度の指標であるBMI値の高い人と低い人では,腸内細菌叢に違いがあることなどがわかってきた。では,腸内細菌叢を健康な人と同じ状態にすれば病気も治るのでは—? そんなアイデアから生まれたのが,他人から提供されたを処理し,腸内に移植する「移植」だ。1958年に世界で初めて行われてから55年後,2013年にその有効性が認められ,注目を集めている。

どこまでも広がる未知の世界に一歩一歩

ヒトの健康や病気と腸内細菌との関係に注目が集まり,研究が盛んに行われるようになった近年。有用物質をつくる菌を研究してきた研究者,発酵や醸造など菌の作用による食品製造を専門にしてきた研究者,次世代シーケンサーで解析されるデータ解析をメインにする研究者など,今,さまざまな分野の研究者が「腸内細菌」をターゲットにしている。

大野さん自身はもともと,腸管免疫系を専門とする研究者だ。細菌やウイルス,寄生虫やその他さまざまな異物が,次々と腸管を通っていく。これらから身を守るために,腸管免疫は発達した。大野さんは医学部出身ながらも,「医師と違って『患者さんがいるから』という視点があるわけではない」と言う。「最終的に,腸内細菌の全体像がわかればいいと思う。じつはそれって難しいことだと思うけど,何らかの法則性が見えてくれば」。

やる前から「何がわかるか」がわかっているのなら,研究する必要なんてない。だから,「何かを明らかにすることができれば,それが研究者の存在価値だと思う」。とにかく目の前のことを解決していく。その先には,きっと新しい世界が広がっている,と信じて進むのだ。 (文・磯貝 里子)