異分野の融合から生まれた最高峰の心臓シミュレーション 岡田 純一
2015年4月に東京大学発ベンチャー、株式会社UT-Heart研究所が本格的に動き始めた。同社はヒト心臓の拍動とそれに伴った血流をコンピュータ上に再現する、世界トップレベルの技術をもつ。バイオと計算科学の融合によって生まれたこの技術を、中心になって開発してきた同社取締役の岡田純一氏にお話を伺った。
緻密な計算で心臓を再現する
心臓の拍動は、心筋細胞への電気刺激の伝達により細胞内のカルシウムイオン濃度が上昇すると,それがトロポニンの構造変化を通じてアクチンとミオシンの滑り運動を促し、サルコメア単位の収縮、心筋の張力発生、臓器全体の収縮に繋がることで起こる。幅広いスケールで電気的現象や生化学反応、力学現象が起こる複雑な組織を、UT-Heartはスーパーコンピュータを用いて緻密で多大な計算を行って再現している。分子の運動からマクロな心臓の動き、それに伴う血流を再現する技術は欧米を凌駕している.UT-Heartのシミュレーション結果は理化学研究所が映像化し、2015年6月には世界最大のコンピュータグラフィックス関連展示会SIGGRAPHでBest Visualization or Simulationを受賞した。
これを、創薬のための研究・評価ツール、ペースメーカーなどの医療機器開発支援、患者個人の心臓再現による治療最適化,医学生・患者にむけた教材の4つに応用するのが会社としての事業だ。
スタートは、拍動する楕円体から
今では医療応用できるほど緻密に再現された心臓だが、最初は単純な楕円体状の構造が拍動するシンプルなモデルでの拍動シミュレーションから始まったという。他大学の工学研究科で材料力学を専攻していた岡田氏が、生体内での力学現象に興味を持ち、博士課程から現在の研究室に移って心臓のモデル化に着手したのが2001年。当時は多数あるテーマのうちのひとつでしかなかったが、医療デバイス開発のために企業との共同研究が始まり、循環器内科医である杉浦特任教授とも協力体制を築き、もともと専門外である医学、生物学の知識を深めながら技術を磨き続けた。計算機の性能向上もあいまって徐々にパラメータを増やし、哺乳類の心臓に構造と動きを近づけていく。心筋細胞の実験結果や臨床データを元に検証を行い、フィードバックをかけながらアルゴリズムを改良した。心臓の構造と機能をより精密に再現するという目標に向かって、異分野の研究員が頭を付き合わせてディスカッションを重ねた。
普及・臨床での利用にむけた課題
次の課題はと聞くと、「特に創薬分野への利用拡大と、個人ごとに異なる心臓を再現するのが難しいですね」と岡田氏は話す。やはりまだ細胞や動物を使った試験への信用が高く、関心のある製薬企業と共に実用へのハードルを越える努力を重ねている。また、患者のMRI画像などから刺激伝達系や心筋の配向を見極めてモデル化するのは熟練の技術が必要で、現在は誰にでもできるものではない。だが、UT-Heart研究所には14年間もの間、予算を獲得し続け、確かな技術を磨いてきたメンバーがいる。これまでと同様に今後も課題を乗り越え、UT-Heartの普及、臨床での利用に向けて突き進んでいくだろう。