生命の中の数理的原理を求めて、人工知能でがんに挑む 宮野 悟
日本人の死亡原因のトップは「がん」だ。しかし,いまだそのは明らかになっておらず,世界中でたくさんのがん研究が進んでいる。データ量は膨大になり,生命科学に関する論文を印刷して積み上げると,富士山の高さを越えるそうだ。この膨大なデータや知識を効率的に使うため,人工知能に注目したのが東京大学の宮野悟さんだ。
情報はそろった。さあどうする?
ヒトのからだをつくるためのすべての遺伝情報は,たった4種類の文字A(アデニン)T(チミン)G(グアニン)C(シトシン)と呼ばれる「塩基」でできており,これをヒトゲノムという。約30億個の塩基から成るヒトゲノムの中には,設計図である「遺伝子」も含まれており,このすべての文字の並び順を解読することを目指したのが「ヒトゲノム計画」だった。これだけ膨大な文字の情報を解析するためには,生物学だけでなく情報科学の知識が必要。そこで,当時,計算理論を研究していた宮野さんに声がかかった。そして計画に参加してから12年後の2003年,ヒトのすべてのゲノムが解読された。
ところが当時は,得られた膨大な文字の羅列を前に,みんなこれをどう使っていいかわからなかったのだという。しかし,宮野さんは違った。「ここが生命を理論的に理解するためのスタート地点だと思ったのです」。得られたゲノムの情報をどう使うのか,宮野さんの挑戦が始まった。
がん細胞は進化する
ヒトゲノム計画が終了する3年ほど前から,がんがなぜ発病し,どのように進行するのか知りたいと宮野さんは考えていた。がんとは,ゲノム中の塩基が別の塩基に置き換わってしまう「変異」が数千〜数万個蓄積することで,正常な細胞のシステムが乱されて暴走した状態を指す。その変異の場所や組み合わせはがんの種類によって異なってくる。30億もあるヒトゲノムの塩基の中から数個の変異を見つける作業は,まるで砂漠の砂の中からダイヤを見つけ出すようなもの。そこで活躍するのが膨大な量の情報を高速で計算することできる「スーパーコンピューター(略称:スパコン)」だ。たとえば,大腸がん組織の24か所から細胞を取り,そのゲノム配列をスパコン使って解析したところ,ひとりの人間のゲノムはすべての細胞で同じであるはずなのに,まったく違っていたという。さらに,変異の場所や量,変化の種類を調べることによって,大腸のどこでがんが始まり,どのように変異をくり返しながらがん細胞が「進化」していったのか,その道筋までもが見えるようになった。
世界中の智恵を集めてあなただけの治療を
がん細胞は,進化していく過程で抗がん剤に対する抵抗力まで獲得することができるという。「がんの理解はもはや生物学や医学といった人知を超えている」。だからこそ,これからは患者ひとりひとりのゲノム配列に合わせた治療が必要になるのだ。しかし,ゲノム配列は人間同士でも0.3%ほど違うため,がん細胞の全ゲノム配列中には1万〜10万か所もの変異がある。どれががんに関係するものなのか,見つけ出すことは至難の業だ。一方,インターネット上にはがん細胞の変異に関する論文や,これまで蓄積されたがんに効く薬などの情報があふれている。2014年だけでも約20万件のがんに関する論文が発表されているのだ。
そこで宮野さんが目をつけたのが,人工知能の利用だった。がんに関する膨大な情報を統合し,その上で個人に合わせた最も効果的な治療方法を提示してくれる。それを実現したのが,IBM社によって開発された人工知能「Watson」だ。たとえば,原因がまったくわからないPMPと呼ばれる盲腸のがんについて,これまでは全ゲノムを解析した後に1年ほどかけて,医師がさまざまなデータを見比べて原因を追求していた。しかし,インターネットにつながったWatsonは,世界中の情報を駆使し,たった10分で患者にあった最良の治療法を見つけ出すことができるのだ。
分野の壁を超えて「原理」を探す
数学者でありながら,今は「がんがなぜ生まれ,どのように進化していくのかを解明したい」と語る宮野さん。その思考の原点はやはり数学の計算理論だった。どうすればコンピュータで自動化できるか,どうすれば効率化できるか,計算できることは何か,できないことは何か。想像を絶するデータ量を解析しなければならない時代に入ったからこそ,「数学をベースとして生命や医学を考えなければならない」と宮野さんは力強く語る。
「パイオニアになれ」。大学の数学科時代に先生からもらった言葉の通り,生命と数学を融合した生物情報科学という新たな分野を確立してきた。がんの進化の裏に,必ず横たわっているはずの「数理的原理」を求め,進み続ける宮野さんの足あとが,まだ誰も知らない道をつくっていく。
(文・上野 裕子)
宮野 悟(みやの さとる)プロフィール
1977年九州大学理学部数学科卒業。理学博士。1985年〜1987年西ドイツ・Alexander von Humboldt Research Fellow,1987年西ドイツPaderborn大学情報科学科助手,1987年九州大学理学部附属基礎情報学研究施設助教授。1993年同教授を経て,1996年より現職。神奈川県立がんセンター総長兼務。