発想を育てイノベーションを生み出す

電気通信大学大学院情報システム学研究科 教授 田野 俊一 さん

全く新しいデザイン支援システムの開発を研究テーマとして掲げる田野教授は、「世の中を変えてしまうような、ユニークなシステムを作りださなければいけないと思います」と語る。技術を積み重ねた上にある進歩ではなく、技術の新しい使い方を考えることでイノベーションを起こす人材を育てたい。そのために、電気通信大学大学院情報システム学研究科では民間企業や研究機関からも教員を集めて、実社会を対象として最先端の研究を行える体制を作っている。

3次元空間に手書きでスケッチする

田野さんが研究している新しいコンピュータの使い方のひとつが、「実物大かつ実操作可能な3次元デザインシステム」だ。車やコピー機、プラントの制御盤などを設計する際の支援システムで、使用者はキーボードとマウスではなく、シースルーのヘッドマウントディスプレイ(頭部装着型ディスプレイ、HMD)と電子ペンを使用する。ペンのボタンを押しながら空中に線を引くと、HMDを通してその線を見ることができる。実際の空間上に、手書きの立体スケッチを描くことができるのだ。「何がどう動くかというのも指定できますよ。例えばコピー機を描いて、用紙トレイはここを持って引くと出てきますよ、と」。その立体スケッチを実際に操作してみると、トレイの位置が意外と低くて腰が痛くなりそうだとわかる。ではもう少し上にしようと、消しゴムで消して描き直す。このように、実際に操作しながら、最適なデザインを描いていく。このとき、空中に描かれていくのはきれいな線ではなく、使用者が電子ペンを動かしたままのガタガタした線だ。「今のデザイン支援システムは、きれいな形を作るための支援になっているんですよ」。例えばパワーポイントでプレゼン資料を作るとき、ついつい細かい絵を作り込んでしまい、いつの間にか全体像がブレていた、という経験はないだろうか。「それと同じように、立体物のデザインでもリアリティが高くなると、ここの部分をあと1㎝ずらそうとか、細かい部分に目がいってしまうんです」。本当の意味でのデザイン支援には、ラフな手書きの線の方が頭を働かせることができるのだと田野さんは言う。「今まではきれいにするために使われていたコンピュータパワーの使い方を変えよう、それで新しいメディアを作ろうと考えています」。

社会を変える情報システム

情報システム学研究科は1992年、銀行や証券、鉄道や水道など社会のインフラからの要求に応える形で生まれた実学志向の研究科だ。しかし、最近はその関係が逆転した。社会が情報システムを要求するのではなく、情報システムの進歩が人々の行動や社会を変えるようになったのだ。例えば携帯電話が高機能化しインターネットに繋がったことによって、電車に乗っている時間や信号待ちの時間を娯楽や情報収集に充てられるようになり、私たちの生活スタイルは大きく変わった。またGoogleは、それまで存在しなかった検索ワードやコンテンツに連動した広告を生み出し、その市場規模はすでに雑誌やラジオの広告を超えている。かつては社会の基盤を縁の下から支えていた情報システムが、今では人々の日常に浸透し、ポケットや鞄の中にその端末があるのは当たり前になっている。「実は技術は飽和しているんですよ。だけど、何を作れば世の中が変化するかがわかっていない。Googleだってアルゴリズムそのものはそれほど新しいものではないけれど、まず思想があって、そこからアルゴリズムを組み立てているんですよね。今は、人間が幸せになれるようなサービスを思いつければ、実現できるようになっています。それを若い人が発想しないといけないと思います」。そう考えた田野さんは今年、実システム創造型プロジェクト科目という新しい講義を設置した。この講義では、民間企業の技術者とデザイナーが講師となる。学生はチームを作り、技術者からはソフトウェア技術を、デザイナーからは利用者を意識したソフトウェアデザインの思想を学ぶ。そしてチーム間でデザインコンテストを行い、成果はインターネットを通じて世界に向けて公開するのだ。「自分が作ったものが世の中に出て、反応が返ってきたら、新しいものを作るモチベーションになりますよね」。

垣根をなくし、イノベーションを起こす

情報システム学研究科では、学生はどの専攻に所属しても、単位数による縛りもなく他専攻の講義を自由に受講することができる。講義や研究の多様性を確保し続けるため、同研究科の研究室はそれぞれ専門分野が定義され、その専門に合った員しか受け入れないという姿勢を守っている。それにより、人づてで教員が集まり、専門分野が固まってしまうのを防いでいるのだ。さらに、研究科に所属する77人の教員のうち、13人は民間出身で、20人は客員教員。客員といっても講義を行うだけではなく、学生が日立製作所や東芝、NHKといった客員教員が所属する機関に出向して研究を行うことができる。「教員1人あたりにつく学生数は全部で4、5人しかいません。学生も外から入学してくる人が多くて、修士で46%、博士だと87%は電通大の外からの人です。出身も情報系だけではなく、政治経済、経営、文学など様々な分野から入学していますよ」。情報学が専門ではない学生のための基礎科目も設置し、積極的に受け入れを行っている。「例えば文学の研究に役立てるなど、専門に限らず情報システムが好きな人なら入学できますよ。この研究科で育てるのは社会の中できちんと動くシステムを作り、世の中を支える技術者。それに、単に設計するだけでなく新しいシステムやサービスを創造できる人になって欲しいと思っています。そのために、入学する人は必ずしも情報システムを知らなくてもいい。技術は入学してから教えられるので、むしろ他の分野にどう適用できるのかを考えたいという人に入学してほしいです」。システム設計やプログラム技術は、すでにインドや中国など海外に委託され始めている現在。その上流工程にあるアイディアやコンセプトデザインから創造することができる技術者が、この国には必要なのだ。それを育てるため、大学と企業の間にある垣根も、専攻間の垣根も、学生の専門の垣根も、全てを取り払ったオープンな体制を作っている。ここに入学して何を成せるか、それはこの環境をいかに利用し、新しい発想を生み出していくかにかかっているだろう。(文:西山 哲史)