トータルデザインが出来るから海洋ロボット学をやっている 浦 環(たまき)<前編>
海が身近にある環境で育った
兵庫県の西宮で育った浦先生。神戸港が身近にある環境。灘高時代は校舎の窓から瀬戸内海が見える環境だった。自然と海に関心をもつ事になる。
一番古い記憶は、三歳の時に行った大磯。波がジャブジャブしていたのが怖いと思ったのを覚えているという。4歳の時にフランス留学に旅立つ父を横浜港から見送った記憶、小学生時代には神戸港のメリケン波止場で書いた船の絵が入選する等、海との関係の多い子ども時代を過ごす。
映画監督になりたい!
高校時代の浦先生は、化学が好きだった。生化学が発展途上でとてもおもしろそうに見える。同時に好きだったのが映画。週に一度は映画を見ていたと当時を振り返る。文系進学を考えるものの、「自分勝手解釈能力が凄い」と言う浦先生。国語が苦手だった。結果として東京大学理科一類へと到着する。
*自分勝手解釈とは、文章を読んで、自分の好き勝手に解釈する能力と浦先生談
初めての挫折から、「船、作ろう!」
大学時代に入ってからもやはり映画好きは変わらなかった。新しいものを創っていくという夢が捨てられなかった浦先生は、建築家を目指す事になる。東京大学の進学振り分けで建築学科にはわずかに手が届かなかったのだが、この初めての挫折が浦先生の今を決める事になる。
自らの将来を見据えた時に考えたことは「自分を一度蹴った場所であとに続くのは嫌だ、やめよう!」次の瞬間に「船、作ろう!」と頭は切り替わっていた。
トータルデザインをやりたい
浦先生の話を聞くと、どうやらあるものの一部を作るような部品作りよりも、何か一つのものを作って、トータルとして誰かに貢献する、そういう事をやりたいのだ。
映画も、建築も、全てをデザインして初めて誰かに貢献するものになる。この感覚に最も近かったのが船舶工学科だったのだ。
造船ブームにより、技術は世界一へと駆け上がる。海洋構造物や10万tの大型タンカーの建造等、本当に魅力的に見えたという。
子どもの頃から思っていたことができそうだ!
東京大学の生産技術研究所に来てから、ついにそのチャンスがやってくる。
これから海の中はロボットの時代になる。生産技術研究所にはそういうのをやる人、いないの?というオファーを受け、浦先生は即決「面白そうですね、やりましょう!」。1984年の事だった。