遺伝研に新たな教育のしくみを創り出す 広海 健
広海健教授 総合研究大学院大学遺伝学専攻 ( 国立遺伝学研究所・発生遺伝研究部門)
ポスドクとしてスイスへ渡った後、アメリカを中心に13 年間の海外生活を経験した。帰国して日本の研究環境に身を置いてみると、日本と海外の違いが見えてきた。「研究の質」そのものに差があるわけではない。しかし、研究成果を測る「論文の質」は欧米諸国に劣る。「次世代の研究者がグローバルに活躍するために自分ができること」を広海教授は遺伝研で実践する。
遺伝学との出会い
神経幹細胞がどのようなメカニズムで多様な神経細胞を生み出すのか、神経細胞はどのような原理で神経回路を造りあげるのか。広海教授の研究室ではショウジョウバエを用いて神経発生に関する研究を行っている。「ショウジョウバエの研究者には2つのタイプがいると思う」。それは、子どもの頃から自然や生き物が大好きな虫派と、物事を定義してしくみを理解しようとする理論派である。物理と数学が得意で、大学では物理学を専攻した広海教授は間違いなく後者だ。 遺伝学に興味を持ったのは、東京大学の学部時代に出会った一本の論文だった。東京大学名誉教授であり、前( 第7代) 遺伝研所長である堀田凱樹氏が、1972年、ネイチャー誌に発表した論文がそれだ。 まだ分子生物学の手法がないにも関わらず、発生・行動などの高次機能に関係する遺伝子が体のどの部分で働くのかということを「古典」遺伝学の技法を巧みに応用して決める手法が記されていた。「論理を駆使することでこんなことがわかるのか」。大学院では堀田氏の研究室で研究に取り組んだ。
存在価値を最大限に発揮する
「教授採用時の発表論文の少なさでは遺伝研の記録保持者かもしれません」。博士号取得後、スイスのバーゼル大学を皮切りに海外で研究を続けた。アメリカのプリンストン大学でアシスタントプロフェッサー( 助教授) を務め、次のポストを探していたときに参加した日本の学会がきっかけとなり、遺伝研へと活動の場を移した。論文の「数」だけでは計りきれない広海教授の価値を、遺伝研は見出したのだ。「遺伝研で自分は何ができるだろうか」。その答えは研究成果を出すのはもちろんのこと、海外経験を活かして遺伝研の活動に必要な新たなしくみを創り出すことだった。
「日本も欧米もサイエンスのクオリティーは変わらない」。ただし、アウトプットの方法,たとえば論文の書き方に,やり方や考え方の違いがあると感じた。特にアメリカでは、どう論文を書けばよいのかということを徹底的に教えている。良い論文を書くのは業績を上げるためだけではない。「他の研究者を刺激して優れたフィードバックを得るためである」。 着任後すぐに英語論文書き方講習会の開催を提案した。「余計なことをしている暇があれば研究をしろ、と言われるかと思っていたのですが、他の教授陣もとても協力的でしたね」。
独創性=個性を伸ばす
広海研究室の壁には「創造性・実験・論文発表」の3つのスイッチが常にONになっている「猩々蠅(しょうじょうばえ)実験室制御盤」が取り付けられている。遊び心溢れるこの制御盤から、広海教授の研究や教育に対する真摯な姿勢が垣間見られる。「しくみとして学生に教えられないものと、教えられるものがあると思う。独創性を教える方法なんてあるのだろうか」。独創性は個性と
言い換えることができる。だからこそ、教えるのではなく伸ばしていきたいと考える。そのために、学生と向かい合い、質問と回答を繰り返す中で学生自身の思考を深めていく。
多くの人に適合する教育カリキュラムも大切だが、もっと重要なのは、個別の対象に合わせて柔軟に対応できるしくみを活用して、学生の可能性を最大限に引き出すことだ。優れた教育
研究環境と遺伝学の特徴を活かした遺伝研教育の核に広海教授は立つ。