102 のテーマで、人生を全合成|竜田 邦明

102 のテーマで、人生を全合成|竜田 邦明

早稲田大学栄誉フェロー 学校法人追手門学院学院長

春,桜の花びらが舞い上がる先に,金色の鯱しゃちほこ鉾が眩しい大阪城が青空を仰ぐ。その麓ふもとで育ち,化学者になった竜田邦明さんは,子どものような屈託のない笑顔の持ち主だ。そして,誰も成し遂げられなかった偉業をいくつも達成した世界的な研究者でもある。

運命の出会い

1928 年,イギリスの研究者フレミングはシャーレの中に,青カビの周辺だけ他の菌が繁殖しないことに気付いた。のちに,微生物を死滅させる「抗生物質」の一種であるペニシリンであることがわかり,20 世紀の医療分野における最大の発見となった。さまざまな細菌などによる感染症を治療するために用いられ,小さい頃に中耳炎に罹かかった際,処方された人もいるかもしれない。大学の医学部に入ってすぐの頃,新たな抗生物質「カナマイシン」の発見がニュースとなり,竜田さんの心は躍った。「抗生物質って,熱が下がったり腫はれが引いたりするのが目に見えてわかりやすいから,薬としての魅力があった。からだの中でどう作用しているのか知りたかった」。偶然にもその発見者は同じ大学の工学部の教授だったため,竜田さんはすぐに転部を決めた。

一からつくることに意味がある

そこで,徹底的に抗生物質の合成を研究した。竜田さんがこだわったのは,「全合成」と呼ばれる手法。入手できる最も単純な化合物から出発し,複雑な構造を有する天然物そのものを合成するのだ。竜田さんが取り組んだ抗生物質のひとつであるテトラサイクリンは,グルコースを原料に,トルエンなどの有機溶媒中で,ジエンを170℃,43 時間反応させて,環状構造を増やしていく。36 工程目でテトラサイクリンの合成が完了するまで,なんと12 年もかかった。これにより,天然物の生理活性が確かに存在することを立証し,活性の中心部分を特定できる。「でも全合成の意義はそれだけではない。従来の化学が正しかったことを立証でき,さらに新しい反応や方法論を見つけることもできるんや」。と,竜田さんは話す。

化学合成は脳内将棋

合成法のアイデアを練るときは,徹夜をすることが多い。「寝ないでひたすら50 とか80 工程を一気に考えるんだ。こういって,次はあれがああなるから……って。相手のいない詰将棋のようなもの。7 手詰めのところを,プロは5 手で詰める。それか,1 か所でいいから妙手を打たないかん」。より美しくよりシンプルにつくる工程であるほどいい。1 研究者1 合成ルートあるといわれるほど,独創性が問われる世界だ。竜田さんは,世界で初めて4 大抗生物質の全合成を完成させ,その後研究者を定年退職するまで,102 個の天然生理活性物質の全合成も成し遂げたが,驚くことに,そのどれもに竜田さんオリジナルのアイデアが盛り込まれていた。

人生と研究は似ている

「きみの名前がなんとかマイシンだったら,覚えられるんやけどな~」と,学生に冗談を飛ばす竜田さんの研究室には,いつも30 人ほどの学生がいた。2 ~ 4 人のグループで,ひとつのテーマに取り組むため,常に8 つほどの研究が同時進行していた。「重要なのは,どんな研究テーマを選ぶか。それが研究の半分を占めてしまうんです」。多くの研究者は自分の好みで構造式を選ぶが,天然物の構造はじつに多種多様で,構造の得意不得意などかまっていられない。それが社会に役に立つかどうかを,製薬会社の研究者と徹底的に議論して選び出す。「だから,全合成の途中であきらめた天然物はないよ。だって世の中に必要だったから」。それが真剣に選んだ研究テーマなら,なおさらだ。研究は,人生の進路選びと似ている。

自分だけの才能を見つけろ

自分の経験を次世代に伝えたいと,今は母校の学校経営に関わる。「自然に問いかける化学と違って,経営は人間が相手。まったく違う難しさがある」と,苦笑い。これからの時代は,さまざまな体験を通じて自らの才能を発掘していかなければいけない。その一例として,地元にある商店街の空き店舗を利用して,何をどのように販売するのか考えながら,生徒に運営を学ばせている。そのかたわら,理科室にDNA の模型を持ち込んでは「この幅が広いほうと狭いほうとあるやろ,薬はこっちにスッと入るんや」と,あっという間に学生を惹きつける。歴史上の化学者から身近にある薬の作用まで,竜田さんの話は尽きない。(文・伊地知 聡)

竜田邦明(たつた くにあき)プロフィール:

慶應義塾大学博士課程終了,工学博士。ハーバード大学博士研究員,慶應義塾大学教授,ケンブリッジ大学客員教授などを経て,早稲田大学教授。2009 年日本学士院賞受賞。2010 年より母校の学院長へ就任,現在に至る。
http://www.appchem.waseda.ac.jp/fm-jp/tatsut-j.htm