地道な 未知菌探索が支える 腸内細菌叢研究 松木 隆広
次世代シーケンサーの登場、バイオインフォマティクスの高度化は、この10年で大きく微生物叢研究を進展させた。2015年に創業80周年を迎えた株式会社ヤクルト本社は、創業以来、腸内細菌と健康の関わりについての研究に取り組んでいる。最近の腸内常在菌叢研究の動向と今後の展開について、株式会社ヤクルト本社中央研究所基盤研究所主任研究員の松木隆広博士(農学)にお話を伺った。
メタゲノムで明らかになった腸内常在菌叢の主要構成菌
松木氏は、「次世代シーケンサーの登場は腸内細菌研究に大きな変化をもたらした」と話す。これまで培養困難であった菌種も含めた網羅的な腸内常在菌叢の解析が、詳細かつ比較的安価に実施できるようになったのだ。世界的に取り組まれているメタゲノム解析および16S rRNA遺伝子アンプリコン解析によって、成人の腸内菌叢は1人あたり数百種類の菌種から構成され、Bacteroidetes、Firmicutes、Actinobacteriaの3つの門が最優勢を占める他、Proteobacteria、Verrucomicrobia等に属する菌が腸内常在菌叢を構成していることが明らかにされた。さらに、この菌叢の構成は、個人ごとに異なるだけでなく、国や地域、食習慣、年齢層などの違いで、それぞれ特徴を有することが多くの研究で明らかになってきた。「今後は腸内常在菌叢の構成と、宿主であるヒトの疾病をはじめとする表現型との関連性に焦点をあてた研究が今後ますます進むだろう」と松木氏。しかし、その関係については、腸内常在菌叢の変化がその表現型の原因であるのか、結果であるのか、因果関係の証明が重要になると考えている。
乳幼児の腸内細菌叢
ヤクルト本社における研究はどうであろうか。新生児の菌叢構成は、ビフィズス菌が優勢であり、新生児の感染防御や乳幼児期の粘膜免疫系の発達に重要な役割を果たすといわれているが、胎内において無菌状態である胎児が出生後にどのように腸内菌を獲得するかについては不明な点が多かった。ヤクルト本社ヨーロッパ研究所は、この菌叢の成り立ちを研究し、出産前の母親の腸管内に常在するビフィズス菌が新生児の腸管に受け継がれることを明らかにし、米オンライン学術誌「PLOS ONE」2013年11月号に報告している。同研究では、分娩様式でも菌叢の成り立ちに差異が見られ、自然分娩では母体から新生児へ複数のビフィズス菌が受け継がれることに対し、帝王切開では母体と同一菌株のビフィズス菌は、少なくとも対象とした5組の母子においては検出されなかったと報告している。また、帝王切開では、ビフィズス菌の定着が自然分娩児と比べると遅いことが確認されたという。出生直後、免疫が未発達な新生児において、ビフィズス菌の早期定着は重要であり、妊婦が良好な腸内環境を維持することは、新生児の菌叢構築に大事だと言えるだろう。ヤクルト本社は、このような基礎的研究から、新生児にビフィズス菌優勢の腸内菌叢が形成される理由を明らかにし、腸内細菌と母子の健康との関係解明につなげたい考えだ。
腸内細菌と肥満の最新研究
最近の研究では、遺伝的体質、肥満、食事と腸内細菌の相関関係が明らかにされつつある。なかでも、肥満と痩身の双子ペアを被験者としたいくつかの研究から、遺伝的体質と相関の強い菌種の存在が見出されてきた。特に、2014年11月米科学誌「Cell」にGoodrichらによって報告された遺伝的体質に強く相関する菌種Christensenella minutaは、肥満を防ぐことが示唆され注目を集めている。この発見は、これまで体質と相関するとしてきた肥満のなかには、細菌叢による間接的な効果も含まれることを意味する。仮に、Christensenellaを腸内常在菌叢に加えることで肥満が抑えられるなら、この細菌を生きたまま腸内に取り込むことで肥満を防ぐことも可能かも知れない。
ヤクルト本社の腸内未知菌探索
腸内常在菌叢の構造・機能をより深く解析するために、ヤクルト中央研究所では、未知の腸内細菌の分離・同定・収集にかねてから取り組んでいる。特に、2008年から2010年の3年間のプロジェクトでは、この間に世界で発見されたヒト腸内細菌24菌種のうち15種を見出し、さらにその後も新たな菌を見出し続けている。分離した「生きた菌」にこだわるからこそ、腸内常在菌叢の成り立ちや健康、疾病との関連が、より詳細に研究することができるという信念がヤクルト本社にはある。上述のChristensenella minutaは、実はヤクルト本社が単離、同定した細菌である。メタゲノム解析などで急速に解明が進む腸内細菌叢研究だが、ヤクルト本社に創業当時から受け継がれている「未知菌の探求、分離、同定、収集」という地道な研究がその有用性の解明と実用化の基盤を支えていることは間違いない。
(文/岡崎 敬)