細菌叢研究が 可能にする未来 黒川 顕

細菌叢研究が 可能にする未来 黒川  顕

次世代シーケンサーの登場により網羅的な細菌叢解析が可能になった今、当該分野の研究が注目を集めている。なかでも食品、土壌、畜産などの分野では応用が期待され急速に研究が進んでいる。細菌叢研究を取り巻く現状、研究の発展により目指す未来について、メタゲノム解析による細菌叢のシミュレーション研究を行う東京工業大学地球生命研究所の 黒川 顕 教授にお話を伺った。

メタゲノム解析により拓けた研究分野

土、水、河、海、深海、地殻中、大気中など、地球上のありとあらゆるところには無数の細菌が存在する。もちろん、口腔内、皮膚、腸内など、我々も細菌に取り囲まれて生きている。これだけ身近な細菌だが、99 %の細菌は難培養性とされ、それらの菌は単離して培養することが難しい。また、単離した菌を研究するだけでは細菌間の相互作用を解明することが難しかった。

細菌叢を動的かつ頑健な系ととらえたシミュレーション研究を進める黒川教授は、「地球上のどこにでも細菌が存在するということは、細菌叢研究は全ての産業に密接に関与する新しい分野だ」と語る。

近年、次世代シーケンサーの登場によりメタゲノム解析が可能になり、培養することなく細菌の情報を得られるようになった。これにより単一の細菌を理解するのではなく細菌の「群集」としての機能をとらえる細菌叢研究が可能となり、新たな学問として飛躍的に研究が進んでいる。

ミクロからマクロの現象を追う

細菌叢を理解するには、3つのポイントがあると黒川教授は言う。まず1つ目に「恒常性」があげられる。黒川教授が東北大学津田雅孝教授らと行なった共同研究で土壌中に芳香族化合物を添加し、各細菌の量の変化を経時的に追った実験がある。芳香族化合物添加の直後からそれらを分解する細菌の割合が増加し、その後徐々に減少して元に戻るという結果が得られた。細菌叢が恒常性を持つことを示した結果だ。

2つ目のポイントは、細菌叢が持つ「ロバストネス(頑健性)」だ。環境に何らかの変化が起きたとき、細菌同士が互いに複雑に影響しあうことで、その変化に対応しているという。

最後に「状態の遷移」があげられる。物理学的に恒常性があるところに強烈なショックを与えると状態が遷移し、別の状態での恒常性がうまれることがある。これと同じことが細菌叢にも当てはまるというのだ。環境にショックを与えるとその状態が遷移し、環境中の細菌叢に新たな多様性、恒常性がうみ出されると黒川教授は考えている。

このように、細菌叢を理解することは、環境を理解することにつながる、ひいては細菌をコントロールすることで、ヒトの健康や土壌の改良といった環境をコントロールすることにつながる可能性があるのだ。

微生物ゲノム情報の農林水産分野への応用例

微生物ゲノム情報の農林水産分野への応用例

50 年後のために、今すべきこと

50 年後、細菌叢は環境の良し悪しの指標になっており、細菌叢を制御することで環境の制御が可能になると黒川教授は考えている。環境は人々の生活と大きく関わっており、細菌叢を制御することで農業、畜産、医療分野だけでなく都市計画など人々の精神面、文化的な営みをも制御できる可能性があるという。細菌叢の解析技術は急速に発展しており、近い将来、より簡便に安価になることは確実である。そして、温度やpHと同じように細菌叢の状態をみて、その結果を活用する時代が来ると黒川教授は確信している。その未来の実現のためにも今、細菌叢に関する地道な基礎研究を行い知見を積み重ねておく必要があるだろう。

人類が長い間伺い知ることのできなかった細菌叢。その研究の歴史はまだ始まったばかりだ。「今後も研究を発展させ、目指す未来について分野を問わずみんなで考えていきたい」と黒川教授は語る。次ページ以降の事例紹介では企業、大学で行われる腸内、土壌、水産における細菌叢研究について追っていく。

(文/宇都宮 健郎)

※次世代シーケンサーは、ランダムに切断された数千万のDNA断片の塩基配列を同時並行的に短時間で決定することができる。土壌や堆肥などの検体から直接抽出した混合DNAを解析することで、多様な種が混在する微生物群集の構造を解析(メタゲノム解析)することが可能になった。

特集:細菌叢研究最前線 ミクロの世界が産業にもたらす可能性