生み出したものに責任を持つ、愚直なまでに真面目なモノ作り

太陽誘電株式会社

「本当に大変だったのは製品を開発した後」。そう語るのは、1988年、世界初となるCDとの互換性を実現した記録型ディスクCD-R(Compact Disc Recorder)を世に送り出し、現在は太陽誘電株式会社で記録メディア事業部の部長を務める新井雄治さんだ。国内でCD-Rを生産する唯一の企業となった太陽誘電。世界中の顧客から信頼される「商品への誇りと責任感」を根幹に据え、次世代製品の開発を進める。

何をするにも手作りの開発

入社した1987年、配属された先では光ディスク型記録メディアの開発が既に始められており、4人の開発チームに5人目のメンバーとして新井さんは加わった。CD-Rという名はまだ存在していなかったが、1982年の発売以降、瞬く間に普及していったCDというメディアに可能性を見い出し、化学メーカー、機器メーカーなど多くの企業がCDとの互換性がある記録型ディスクの開発にしのぎを削っていた。当時、ディスクを作るための部品や機械、さらにはできたものが実際に働くかを評価する機械も、全て手作りだったという。驚きの研究環境だが、新井さんはすんなりとこうした環境を受け止めることができたという。「学生の時に専攻していた有機合成では、ガラス細工で実験セットを組むのも実験のうちだった。だから、学生時代から『ないものは作れば良い』という考えがあった」。この考え方が新規開発の現場に適応する力だった。

できる理由を探す

開発を諦める企業が出てくるほど険しい道のりの中で、太陽誘電のメンバーには共通の想いがあった。「できない理由を並べてもできないものはできない、それでは無駄なだけ。なんとかして、できる理由を探し、それに基づいてやってみることが重要だ」。これが新井さんとチームメンバーの開発信念ともいうべきものだ。 CD-Rの開発に直結した2つのブレークスルーを導いたのもこうした考えに基づいたチャレンジだった。
有機色素を利用した光ディスクへの記録は、通常、色素層にレーザーが当たることで熱分解が起こり、爆発したようにその部分の色素に穴が開く。そのため、爆発によって生じた色素のカスの逃げ場を用意するために、基板と基板の間にスペーサーを配置することが必要だった。しかし、2枚の基板を用いた構造では1.2mm±0.3mmというCDの規格に収めることができない。
ひとつ目のブレークスルーは、色素を蒸着していない基板を0.3mm以下の薄さのフィルムに変えたことだ。フィルムをドーナツ状のディスクの内側と外側だけを止めることで、空間を確保する。「これまでの常識にはそぐわない。けれども、できるかもしれない」。とにかく試してみたところ、記録することができていた。
ところが、これだけでは問題解決に至らなかった。CDは基板の下からレーザーを照射し、戻ってきた光を読み取って情報源とするため、レーザー光が戻ってくる割合(反射率)は、最低でも70%が必要とされていた。フィルムを貼り付けた試作版は、記録はできても市販のCDプレーヤーでは再生できない恐れがあった。「反射率が低いのであれば、フィルムの内側に反射板をつければ反射率を上げられるはずだ」。自信や確信があったわけではない。しかし、できない理由を探すのではなく、この明快なアイディアを試したことで、CD-Rが誕生した。「2つ目のブレークスルーは1つ目のものから1週間後だった」。

生み出したものへの責任感

開発に成功した喜びもつかの間、苦労はむしろここから始まった。現在、世界中で年間100億枚が販売されるCD-Rだが、開発1年目は27枚しか売れなかった。新しいメディアでは、当然記録する機械も普及していなかったためだ。そこで始めたのが、聴けなくなったレコードをCDに記録するというサービスを関連会社で展開した。CD-Rのビジネスが軌道に乗ったのは1996年、パソコンにCD-ROMドライブが載るようになってからだった。そこから売り上げは急速に伸びた。しかし1997年、台湾企業の参入によって販売価格が約7割も下がり、再びビジネスとしてのピンチを迎える。「この時は、生きるか死ぬかというところまで追い込まれた」と新井さんは振り返る。工場の生産体制を見直し、「乾いた雑巾から水を絞り出す」ように、効率化とコストダウンを図った。こうした厳しい環境の中、他の企業は相次いで事業から撤退をしたり、生産拠点を海外に移していき、現在太陽誘電は国内でCD-Rを生産する唯一のメーカーとなった。「自分たちが産み出したCD-R。お客さまのニーズがある限り、最高品質の製品を届けることが私たちの責任です」。自社製品に対する誇りと責任感が太陽誘電の伝統だ。

一瞬の感動を求め続ける

「松田聖子の『白いパラソル』という曲は一生忘れられない一曲になった。初めて自分たちが作ったCD-Rから再生される音を聞いた時、全身の毛が総立ちするようだった」。新井さんはその日のことを、天気から研究所内の視聴覚室の様子まで鮮明に覚えている。開発に携わる醍醐味は、自分で作ったものが実際に動いて、機能を発揮するところを目で見られることだ。「ほんの一瞬前までは不可能だったことが、開発された瞬間に可能になる。それが開発エンジニアとしてのやりがいです」。携帯電話も今でこそひとり1台を所有する必需品だが、ひと昔前までは空想の機械だった。今の世の中の当たり前の技術や機械には、全てそれを開発した人がいる。新井さんは、自分が味わった「初めてCD-Rから音を聞いたときの感動」をひとりでも多くの部下に味わってもらいたいと願う。「一度味わうとやめられなくなる」。新井さん自身も次の感動を求めて、動き続ける。


太陽誘電株式会社
所在地:東京都台東区上野6-16-20
設立: 1950年3月
資本金:235億円
事業内容:エレクトロニクスパーツおよび記録商品等の製造・販売

URL:http://www.yuden.co.jp/