〔リバネスセンシズ〕科学技術の投資育成エコシステムを豊かにするひと(前編)

〔リバネスセンシズ〕科学技術の投資育成エコシステムを豊かにするひと(前編)

リバネスセンシズでは、リバネスメンバーのインタビューを通して、そのパッションを紐解き、実現しようとする個々の未来像をお伝えします。

篠澤 裕介(しのざわ ゆうすけ)
修士(農学)

専門分野:動物細胞制御学

(聴き手:佐野 卓郎)

メンバーの中で、科学技術の社会実装プロセスに関するリアルを誰よりも知っているのは、篠澤 裕介(しのざわ ゆうすけ)さんだろう。国内にとどまらず、海外、特にアメリカでのベンチャー投資とその成長の実態を観察し続けてきた。現在はリバネス投資育成研究センター長も務めている。今回は、そんな篠澤さんに話を聞いてみた。

佐野:インターン生の頃から、サイエンスコミュニケーションに興味をもっていましたよね?

篠澤:学部生のときにサイエンスコミュニケーションの存在を知りました。研究と社会には架け橋が必要だということで、東京大学でサイエンスコミュニケーションの講座が始まるという話もありました。当時の私は、大学院に進学しようと考えていましたが、理系キャリアは、研究職以外の仕事が見えにくいですし、ポスドク問題も叫ばれていて、研究者の将来像が狭くも感じていました。研究一本槍ではなく自分の幅を広げる意味でも、サイエンスコミュニケーションを学んでみようかと思ったのがきっかけです。

佐野:リバネスのことはどこで知りましたか?

篠澤:理系キャリア雑誌に載っていたのを見つけました。あとは、書籍『抗体物語』ですね。書籍のカバーに六角形描くように小穴が空いて。「なんだ、この本!」と思って手に取ったら、リバネスが発刊する本でした。

佐野:『抗体物語』は、協和発酵工業株式会社(現:協和発酵キリン株式会社)と共に展開していたWebコンテンツを書籍にまとめなおしたものですね。実は、私もかなり関わっていました。

篠澤:その後、卒業論文を終え3月に面談して、4月からリバネスのインターンシップに参加することに決めました。

佐野:まだリバネスの本社が新小岩(東京都葛飾区)にあった頃ですよね。

篠澤:はい。当時はまだ、サイエンスコミュニケーションができる場があまりなかったように思うんですよね。

佐野:インターンシップではどんな活動をしましたか?

篠澤:やはり、実験教室ですね。

佐野:どうでした?

篠澤:とても楽しかったですよ。複数人で物を組み上げる、そのチームプレイが面白かったです。プロジェクトリーダー(PL)もやりましたが、いろんな立場の人たちと集まって「なんとかする」という経験も、ひとに任せたことが上手くいかずに焦るという経験も、今となってはとても良かったです。自分ごとにするって本当に難しいですね。
あとは、講師(TM)の楽しさも知ることができました。「しゃべって楽しい」という感情が自分にもあるんだと発見しました。

佐野:講師は苦手そうでしたよね?

篠澤:はい。

佐野:今は大分上手になっているように感じるのですが。

篠澤:以前は、考えていることがなかなか言葉に落ちないっていう難しさがありました。それに、内へ内へと引き篭るような部分があったように思います。でもリバネスにきて、色々な場面で、色々なひとに向けて話すようになったおかげだと思うのですが、最近では、普段から言葉に落とし込んでいくような考え方をできるようになったと思います。

佐野:修士課程を修了してから別の会社に就職しましたよね?

篠澤:一旦、PRの会社に就職しました。日本の企業の多くが科学技術系ですから、理系のひとが行けば結構活躍できるだろうと考えたんですが、科学技術を世に出すという考えからすると、ちょっと違うなと思いました。
主体的に科学技術を世に出す仕事をしたいと考えて、改めてリバネスの門を叩くことにしました。

 

後編