研究は宝探し 柳 茂

東京薬科大学 生命科学部 柳 茂 教授

「大学に入ったら,自分は何者なのかを考え直す必要がある。人と同じでは意味がありません。自分を見つめ直す旅が大学から始まるのです」。船医に憧れ飛び込んだ医学の世界。大学時代には,留年という思いがけない経験がきっかけとなり,研究にのめり込むことになった。研究は宝探し。自分だけの宝の地図を頭に描いて,まだ誰も見たことのない自然のベールの向こう側へと歩み続ける。

思いがけない研究との出会い

「高校生の頃は研究者になろうなんて,まったく考えてもいませんでした」。父親が商売人ということもあり,関西にある大学の経済学部に入学したが,卒業後は親のあとを継ぐのだと思っていたという。しかし,何かが違う——大学入学後,そのような想いを抱いているとき,ある雑誌が目に飛び込んできた。雑誌の名前は「船医」。そこに描かれていたのは,自由奔放に生きる船医の姿だった。船医になれば好きなことをして暮らしていけるのでは——そのような動機から大学1年生のときに,医学部を受験し直した。ところが,医学部への入学を果たした後は友人と遊ぶことに熱中し,留年してしまったのだ。この出来事がその後の人生の転換点となった。留年して暇になってしまった時間を埋めるため,学生課でアルバイトを探していると,学生課の課長さんが声をかけてきた。そして,ただ漫然と1年間を過ごしてももったいないということで,課長さんの知り合いの教授がいる研究室に連れて行かれた。これが,研究を始めるきっかけとなったのだ。

世界で一番に真実を見る快感

このように何気なく始めた研究がおもしろいと感じたのは担当の先生のおかげだという。今思えば取るに足らない仮説を,先生はおもしろいと言って聞いてくれたのだ。新しい事実に対して仮説を立て,先生とディスカッションすることがとても楽しかった。「自分にしかないものをどんどん出せる,この世界はすばらしいと思いましたね。そして,何よりも一番楽しいのは,自分で自然の真理のベールを剥いでいき,世界で一番始めに真実を見ることができるということです」。結局,研究の楽しさに目覚め,研究室に入り浸りになった。大学3年生のときには,国際学会で発表をし,論文も出していたという。当時,研究していたのは,血小板。血小板は,ケガをしたときに集まってきて傷口をふさぐのに欠かせないものだ。その中から免疫の機能に関わる遺伝子を見つけようというのが当時所属していたチームの研究テーマだった。当時の柳さんの役割は,豚の血から,血小板を精製すること。毎日研究室に通い続け,その結果,柳さんのいたチームは3年がかりで免疫機能に関わる非常に重要な遺伝子を発見することに成功したのだ。それは,新しい遺伝子だったので,発見したチームが名前をつけることができる。柳さんは,豚から見つかったので,PIGにしよう提案した。しかし,病気に関わる遺伝子なので,結局,病気(=SICK)にかけてSYKに決まった。今では教科書にも載っている遺伝子だ。「研究は宝探し」,こうした経験を通してそう思ったという。自然の中にはまだ誰も見たことのない宝があって,仮説を立てることで自分の頭の中に宝の地図を描き,宝を探し当てる。

研究を通して伝えたいこと

世界で初めての真実を見たい。そんな想いから研究を行ってきた。現在は,神経のネットワークの形成からミトコンドリアに関する研究まで,さまざまなテーマで「宝探し」を続けている。アルツハイマー病やパーキンソン病などの神経変性疾患は,ゴミが細胞内に溜まることによって引き起こされる。柳さんはこのゴミを掃除する遺伝子を発見し,CRAG(クラッグ)と名づけた。その後の研究で,このタンパク質を投与すると,変性したタンパク質によりからだが不自由になったマウスの運動機能が回復することが確認された。この研究成果が人に応用されることも,そう遠くない未来だという。臨床医として,また研究医として病気と向き合ってきた経験から,研究の魅力を次のように語る。「病院の現場では,ミスは許されません。一方で,研究の世界では自分の発想でチャレンジすることが求められる。そして何より自分の研究の成果が,何万,何10万の患者の命に貢献することができるのです」。今,周りには,自分が研究に出会った頃と同じ世代の学生たちがいる。彼らには,研究に情熱を傾け,世界を舞台に研究をしている自分の姿を見てもらいたいという。「どんな仕事をするにしても,情熱を持って仕事をすることが大切です。研究を通して,それを学生に伝えていきたい。もちろん,僕自身も夢を見続けていきたいと思っています」。留年という思いがけないきっかけで出会った研究は,今では柳さんの生き方をうつす鏡となっている。宝探しの旅は終わらない。(文・内藤大樹)

柳 茂(やなぎ しげる)プロフィール:

1992年,福井医科大学卒業。内科臨床医を経て,福井医科大学助手。米国Yale大学に留学後,神戸大学医学部助手。同助教授を経て,2005年より現職。

研究室ホームページ:http://logos.ls.toyaku.ac.jp/Life-Science/lmb-8/