小さなミジンコのからだで働く小さな分子|時下 進一

東京薬科大学 生命科学部 環境ゲノム学科 講師

研究室のとある一角の部屋のドアを開けると,そこには大小さまざまな容器に入った,小さな生き物がふわふわと泳ぎながら迎え入れてくれる。時下さんが夢中になっているミジンコだ。「目もあるし,触角や心臓,腸管もある。顕微鏡で見ると色々な組織が見えて,本当に生きているっていう感じがするのです」。楽しそうに話したが,研究対象としてミジンコと向き合うときの視点は,少し異なっている。

研究の楽しさを共に感じたい

「いろいろな学生と話をしながら,プロセスを踏んでいって,結果が得られるというのが楽しいですね」。いつも学生と同じ目線となって楽しそうに研究を進めている時下さん。その背景には,自分自身の学生時代の経験がある。「先輩や先生と一緒に悩み,考え,何かを見つけ出す。それをやっていくうちに,どんどん実験が楽しくなったのです」。そんな想いを今の学生にも感じてもらいたいと考えている。

違う視点で生き物を見る

高校時代は,当時めずらしかったパソコンを使ってプログラミングをしていた。生物の授業は選択すらしないほど,生き物には興味がなかったのだ。そんな時下さんを変えたきっかけは,浪人中に友人が見せてくれた科学雑誌の記事だった。生き物の設計図ともいわれるDNA を,決まった場所,決まった形で切ることができる。タンパク質とタンパク質が,パーツが組み合わさるようにして働いている。それまで,生き物はそのようにきちっとした形では説明できないと思っていた。生き物そのものよりも,パズルのように説明できる一面に魅力を感じ,一転,バイオテクノロジーを学ぶ道を歩み出した。

ミジンコが赤くなるしくみ

教科書にある食物連鎖の単元などで,動物プランクトンの一種として登場するミジンコ。時下さんは,ミジンコを食物連鎖の中に登場する生き物としてではなく,からだの中で働くDNA やタンパク質に注目して研究をしている。研究を始めた当時,それは日本で初めての試みだった。ミジンコは,魚に食べられないように,魚が生きられないほど低い酸素濃度の水の中でも生息できる。そのとき,少ない酸素を効率的に全身へ運ぶため,ヘモグロビンが多量につくられ,からだが赤くなることが知られていた。「そこにはいったい,どのようなしくみがあるのか」。それを調べるため,ミジンコが持つヘモグロビンの遺伝子に注目することにした。調べていくうちに,ヒトとの意外な共通点が見えてきた。ヒトも,酸素が薄い高地に行くと,体内のヘモグロビンの量が増える。そのとき働く遺伝子をミジンコも持っていることがわかったのだ。現在は,生態学の研究者と協力して,ミジンコが環境の変化に対応するときに働くしくみを解明する研究を進めている。ミジンコは普通,メスしか産まれない。しかし,生息場所の環境が悪化したり,昆虫のホルモンに似たある農薬にさらされたりすると,オスが生まれるようになる。最近,この昆虫のホルモンに似た農薬を散布すると,低酸素でもないのに真っ赤になることに気づいた。低酸素と農薬という,全く関係がなさそうな刺激から起こる結果に共通性が見えた。その共通性を生み出すためのしくみや遺伝子があるはずだ。それを探っていきたいというのが,今の考えだ。

好きを極める

生物が持つしくみを,パズルのように解き明かす。そのおもしろみに気づいて以来,楽しむ気持ちを常に持ち続けてきた。全く生物を学ばなかった高校時代のブランクを埋めるため,大学に入ってからは,がむしゃらに勉強した。大学院では,実験が上手くいかないとき,博士課程の先輩と一緒に考え,実験を重ね新しい方法を発見した。好きなことだから,努力できる。好きなことだから,苦労の先に期待を持って楽しく研究ができる。時下さんの興味の探究は続いている。(文・菅原聡子)

研究室ホームページ:http://logos.ls.toyaku.ac.jp/Life-Science/lemb-5/