【産官学諤】アーティストの「生命科学」を知る

【産官学諤】アーティストの「生命科学」を知る

「科学×芸術」というワードを見ると、美しい顕微鏡写真、イラスト、そしてCG(コンピューターグラフィックス)を思い浮かべ方もいるのではないだろうか。最近では科学をわかりやすく伝える活動としてのサイエンスイラストレーションも目にする機会が増えてきた。一方で、芸術という点をさらに突き詰めた取り組みも広がってきており、研究者の視点にとらわれない概念も生み出されている。サイエンティストとアーティストの2つの顔を持つ早稲田大学の岩崎秀雄氏の話から、今まさに起こっているサイエンティストとアーティストの掛け合いが見えてきた。

岩崎 秀雄 氏

岩崎 秀雄 氏(いわさき ひでお)
1999年 名古屋大学大学院理学研究科・博士後期課程修了,博士(理学)
1997-2000年 日本学術振興会特別研究員 (DC1, PD)
2000-2005年 名古屋大学大学院理学研究科生命理学専攻助手
2005-2007 年 早稲田大学理工学術院 (電気・情報生命工学科)助教授
2007年~現在 同・准教授,生物学と芸術の学際プラットフォーム metaPhorest 主宰

科学と芸術が交わる空間

岩崎研究室で行う週2回のセミナーには他の研究室にはない大きな特徴がある。シアノバクテリアのサーカディアンリズムについて研究している学生が、どのようなプラスミドを構築しようかという研究進捗報告を行い、ディスカッションが行われる。これはありふれた光景だが、その場にアーティストも同席して話に加わっていると考えたらどうだろうか。実はこれが岩崎氏の研究室のユニークな一面だ。

「そもそも生命の何をわかりたいの?」とアーティストがサイエンティストの卵に、非常に根本的な質問をつきつける。逆に、アーティストによる難解な言葉を用いた発表に対し、サイエンティストがわかりやすい説明を求める場面もある。20名ほどの学生とポスドクそして7名のアーティストが、時と場所の共有を継続することで、半年以上をかけて彼らは生命科学と芸術の両方の言葉を理解するようになるそうだ。

このアーティストが長期滞在して生命科学の研究者と実験設備やセミナーの機会を共有する空間は、2007年に岩崎氏の研究室内に設置された「metaPhorest※1」というプラットフォームの取り組みの一環として行われている。生命に対して科学と芸術という異なるスタンスで切りこみ両方が対峙しながら同居するという状況を作りだすことで、生命を多面的にとらえ本質を探究しようという試みが続けられている。

アーティスト視点の科学

ここ数年で、デザイナーに依頼して研究成果をさらにわかりやすく美しく表現するといった活動が活発に行われるようになってきたが、岩崎氏の考える「バイオメディアアート」はそれとは一線を画している。どのように世界をつかみ取るかという個人の活動がすでに芸術であると考えているため、アイディアを出すところからすでに創作活動が始まっている。制作の主体はアーティスト側にあるのだ。そこで生み出される作品は、生命科学と密接に結びついていながらも、生命科学とは全く違った視点から生命を捉えようとしており、生命の新たな一面を浮き彫りにする。

岩崎氏が興味深い海外の研究機関を紹介してくれた。世界に先駆けてバイオメディアアートの活動を推進してきた、西オーストラリア大学のシンバイオティカ(SymbioticA)※2だ。バイオメディアアートの第一人者であるアーティスト、オロン・カッツ氏がリーダーとなり、国内外から多くのサイエンティスト、アーティストが集まり、生命科学を社会的課題ととらえた作品作りに取り組んだりしている。彼らは、自分が感じ取った世界の切り取り方をサイエンティストとのディスカッションの中から見いだし、必要な技術(例えば細胞培養)を習得したりして表現活動を推し進めていく、とてもアグレッシブな集団だ。例えば、カッツ氏の代表作であるマウスやヒトの細胞を増殖させることで形作られるジャケット「Victimless Leather」※3は、「最先端技術により生命の犠牲を伴わずにすむが、実際には仔牛の血清を使って作られている」というアイロニカルなメッセージを見る人に向けて投げかけている。2009年の終わりから2010年の初めにかけて東京の森美術館で展示されていたこの作品を、ご覧になった方もいるのではないだろうか※4(ここでの展示はmetaPhorestが制作協力を行った)。世界中から集まったアーティストがシンバイオティカで学び、そしてその人材が自国に戻って新たな拠点を作ることで、現在、世界中にこの活動が広がっていこうとしている。

"metamorphorest in Linz" (2010)

“metamorphorest in Linz” (2010)
オーストラリア・ライトアート・ビエンナーレ,
Galerie Wuensch, Linz
岩崎氏の作品

アーティストの「生命観」のススメ

バイオメディアアートが広がっていく中、このような芸術との関わり方は、サイエンティストにとってどのような影響があるのだろうか。話の中で出てきた象徴的な作品がある。その作品は、あらゆる生命の分類について議論・交流する場である「種生物学会」で発表された。進化生物学や生態学など多様な科学分野の研究者が集まる中、アーティストが提示した新しい系統樹。生物の三界(動物・植物・原生生物)に、新たにヒトによってもたらされたトランスジェニック生物が組み込まれているのだ。バイオテクノロジーの発展により、ヒトが生物の多様性を生み出すようになったととらえることができる、というのが彼らの主張だ。サイエンティストにとって予想外の価値が突きつけられた瞬間だ「。生命について研究する生物学者が、一瞬立ち止まって自分の足元(研究分野)を見直さざるを得ないという状況。研究には、これが大事だと思うんです」と岩崎氏は指摘する。自身も両方の視点を個人の中でどのように循環させるかを意識しているそうだ。ふたつの視点で現象を捉えるということは効率がよくないが、一方で本質を知るために多角的な視点が寄与するところは大きいはずだ。

自分は世界をどのように表現しようとしているのかという視点で、自分の研究を捉え直してみる。専門性を突き詰め研究を行う一方で、科学の枠に執着せずに枠組みを超えて自由に眺めてみることも、これだけ多様化してきた研究の中では面白いのではないだろうか。

※1 http://metaphorest.net/
※2 http://www.symbiotica.uwa.edu.au/
※3 http://tcaproject.org/
※4 http://moriartmuseum.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-af25.html