虫の飛行は、無視できない|河内 啓二

虫の飛行は、無視できない|河内 啓二

東京大学大学院 工学系研究科 航空宇宙工学専攻 教授

多くの研究者が,ある事実に首を傾かしげていました。ひらひらと舞うチョウやトンボの飛び方を,飛行機が飛ぶ理論を用いて計算してみたところ,あの薄くて華きゃしゃ奢な翅はねが起こす空気の力では,からだの重さを持ちあげられないという研究結果が出るのです。

ハチミツのような空気

じつは,空気中を飛ぶ物体には2 種類の力が働きます。ひとつは,空気を押しのけるときに発生する「慣性力」。もうひとつが翼や翅の周りにまとわりつく空気を振り払うときに発生する「粘性力」です。大きさが数mm 〜cm しかない昆虫にとって,粘性力は無視できない存在。飛行機の1000 分の1 しかない昆虫が受ける粘性力の割合はとても大きいのです。彼らは,まるでハチミツの中を泳ぐかのように飛んでいたのです。

トンボの翅が薄いワケ

東京大学の河内啓二さん率いる研究チームは,昆虫の飛び方を知るために,トンボやハチなどの翅の立体モデルをつくり,飛行中の空気の流れをシミュレーションし,実験を行いました。すると,翅を上下に動かすときに,翅の前縁付近に空気の渦が常にできることを発見しました。飛行機が渦を利用することはめったにありません。しかし彼らは,渦を利用してからだを空中へ押し上げていたのです。さらに,流線型の翼を持つ飛行機と比べて,昆虫の翅は薄っぺらい膜や板のよう。粘性の高い空気の中で羽ばたきやすく,また,渦をつくりやすくするためと考えられています。

無視できない可能性

「飛行機とはまったく違う理論なので,新しい飛行体ができそう。カメラやセンサーを搭載し,ホバリングや急旋回など難しい動きが可能になれば,市街地上空や火山口などこれまで行けなかったところを飛び回る,画期的な測定装置にもなるでしょう」と,河内さんは言います。生き物には,まだまだ驚くような真実が潜ひそんでいるようです。(文・篠澤 裕介)

河内 啓二(かわち けいじ)プロフィール:

東京大学大学院 工学系研究科 航空宇宙工学専攻 教授
1975 年,東京大学大学院(航空学)博士課程修了。科学技術庁航空宇宙技術研究所(現JAXA)研究員,NASA エイムス研究所客員研究員などを経て2002 年より現職。

http://www.kawachi.rcast.u-tokyo.ac.jp/

Written by Yusuke Shnozawa