ヒトノ知性ニセマル|牛場 潤一

ヒトノ知性ニセマル|牛場  潤一

慶應義塾大学 理工学部 准教授

頭の中に,好きなものをひとつだけ思い浮かべながらコンピュータ画面を見つめる。「それは生き物ですか?」ウサギを思い浮かべている君はYESとキーボードを打つ。「それは芸能人ですか?」——NO。いくつものやりとりを経て,人工知能がウサギという答えにたどり着くその様子は,まるで人間と会話をしているようだ。

人工知能と脳

小学生の頃に,牛場潤一さんはこの人工知能と出会った。「もしかしたら,僕が考えていることも,コンピュータと同じようにプログラミング言語で書き表すことができるかもしれない。そう思ったんです」。コンピュータには,百科事典に相当するデータベースがあり,ひとつの課題に対して事典をすべて調べるという力技で情報処理をする。しかし一方で,人間の脳は忘れっぽいし計算も早くないが,それでもコンピュータと違うなんらかのアプローチ方法で答えを出す。人工知能と脳の違いはどこにあるのだろうか。

研究にまっしぐら

学べば学ぶほど,もっと人間の知性にせまりたくなった。理工学部に入学し,研究室に所属するとすぐに,医学部に出入りさせてほしいと教授に頼み込んだ。医学的な知識や技術を学ぶためだ。「毎日,理工学部がある矢上キャンパスと医学部がある信濃町キャンパスを往復していました。夕方以降は,診察を終えた医師と一緒に健常者や患者さんに協力してもらって腕などの筋肉の活動電位を測定する実験を行い,翌朝はデータの解析や次の実験準備で機械をずっといじっていましたね」。そのなかで注目したのが,リハビリテーション。脳に損傷を負った患者さんは,体の一部が思うように動かせなくなることが多い。脳からの指令の発信,神経の伝達,体を動かす動作,という一連の信号の流れのどこかが遮断されている。この流れをスムーズにする訓練が,リハビリテーションである。多少なりとも手足が動かせるような場合には,いくつかの訓練方法を組み合わせて機能回復を目指すことができるのだが,重度の麻痺がある場合には,どうにも訓練のしようがない。

神経をリハビリする

そこで,牛場さんは脳と機械をダイレクトにつなげるシステム「BMI (Brain-Machine interface)」を取り入れることにした。運動しようとする脳の活動状態に呼応して, 麻痺手の開閉をアシストする電動装具を使い,からだの中に流れる神経活動を取り戻そうというもの。まず,患者さんに麻痺手を動かすイメージをしてもらう。すると,運動を司る脳部位の活動が変化するので,BMIが電動装具を駆動し,麻痺手がそれによって強制的に動く。「くり返すことで,からだの中に新しい伝達回路ができたのかもしれないし,脳から出されていた間違った指令が解除されたのかもしれません」。実際に,まったくものを持てない患者さんが10〜30日間トレーニングを行うと,なかには指が動き,ものを持てるようになった患者さんが現れた。BMIの技術をリハビリに応用した,「BMIリハビリ*」という新しい医療の可能性が芽吹いた瞬間だ。

ヒトとはなにか

フランス文学の大学教授であった父と翻訳家の母のもとに生まれ,小さい頃から食卓では文学の話題が尽きず,自然と人間の営みに興味をもったと,牛場さんは言う。「しかし,自分の場合はそれを自然科学的な視点で解き明かしたかった。今後,損傷した脳はどのように機能を回復させるのか,脳からの指令がどのように体中にうまく伝わるようになるのか更に研究をしていきたい」。学問の領域の垣根を越えることで新しい研究領域を生み出す牛場さんの挑戦は,これからも続いていく。(文・高橋良子)

*この研究は,文部科学省脳科学研究戦略推進プログラム「ブレイン・マシン・インターフェースの開発」の助成により行われています。

牛場 潤一(うしば じゅんいち)プロフィール:

2004 年,慶應義塾大学大学院理工学研究科基礎理工学専攻修了。博士(工学)。ヒトが巧みに手足の運動を制御するしくみを解明するために,脳や脊髄の神経機能を研究する傍ら,神経活動をリアルタイムに読み取って麻痺手のリハビリに活かす医療機器の開発を手がける。