国境を越え、眠りの正体にせまる 筑波大学 柳沢 正史
「夜更かししすぎて,あくびが止まらない……」はずなのに,部活やデートの時間になったらパッと目が覚める。そんな経験はありませんか?眠ること,そして起きることは日常的な体験なのに,じつは脳内で何が起きているかはわからないことだらけ。筑波大学の柳沢正史さんは,日米2 つの研究室を往復しながらこの謎に挑んでいます。
物質のやりとりが脳の働きをつくる
「お腹がすいた」「誰かが好き」。これらの感覚は何がつくっているのでしょう。ヒトの脳には1000 億個もの神経細胞があります。その間を信号がどう伝わるかで,私たちの行動や感情がつくられます。このとき,細胞から細胞へ信号を伝えるのが,神経伝達物質とそれを受け取る受容体。これらの組み合わせで,伝達先の細胞を興奮させる神経,逆に落ち着かせる神経というように働きが変わります。脳科学が進歩するにつれ,どの神経細胞がどんな組み合わせを持つかが徐々にわかってきましたが,一方どんな物質を受け取っているのか未解明の受容体も多く存在します。
「食欲」から眠りの研究が始まった
1990 年代後半,柳沢さんはテキサス大学で,どんな物質を受け取るのかがわかっていない受容体の研究をしていました。数多くある体内の化学物質から,ある日見つかったのが「オレキシン」。空腹のときに多く合成され,またラットの脳にオレキシンを与えると食事量が増えるという行動変化を起こしました。さらに,この物質が制御するのは食欲だけではありませんでした。オレキシン遺伝子を働かなくしたマウスは,活動中でも急に眠り込む症状を示したのです。これは,ナルコレプシーと呼ばれる,突然眠りに陥ってしまうヒトの疾患にそっくりでした。たったひとつの遺伝子の変化が,脳活動に大きな影響を与えている。この発見が睡眠研究の始まりとなったのです。
睡眠に関わる遺伝子を探しだせ!
現在柳沢さんは,眠り目覚める現象の理解をより深めるため,筑波大学で睡眠に関わる他の遺伝子を探す研究も進めています。まず,DNA にランダムな突然変異を起こす薬剤をマウスに与え,1 匹1 匹の頭に電極をつけます。そして脳波と筋肉活動を計測し,睡眠の深さと行動に変化がある個体を探します。この実験には,マウスへの影響を最小限に抑えて,脳に電極を埋め込む手術を行う繊細さが必要です。日本は「ていねいな作業をできる人が集まりやすい」点でこの研究に向いているとのこと。現在までに3000 匹のマウスを調べ,異常のある個体が数匹見つかりました。「最終的に10,000 匹くらい検査すれば,新しい発見ができるのではと考えています」。
日米の“いいとこどり” で研究を進めよう
睡眠行動に異常があったマウスは,それが子どもに伝わるか調べます。もし遺伝したら,次はすべての遺伝子を構成するDNA 約5300 万塩基を解読し,突然変異が入った場所を探し出します。この作業は,大規模なDNA 解析を安くこなせるテキサス大学で行う予定です。
「睡眠のメカニズムは,まだ何もわかっていないんです」。だからこそ魅力的で,研究が進めば不眠症治療にも役立つかもしれないと話す柳沢さん。眠り,目覚めるときに脳で何が起きているのか。分子から行動までをつないで丸ごと理解するため,「国ごとの得意分野を活かし,“いいとこどり” をするんです」。複雑で大きな謎に挑むため,柳沢さんの研究は,国境を越えて続いていきます。(文・新井 佑子)
協力:柳沢 正史(やなぎさわ まさし) 筑波大学 分子行動科学研究コア 教授
1988 年,筑波大学大学院基礎医学系博士課程修了。医学博士。その後筑波大学,京都大学講師を経て,1991 年よりテキサス大学サウスウェスタン医学センター准教授。96 年に同教授,2010 年より筑波大学教授(テキサス大学と兼任),内閣府FIRST プログラム中心研究者。
眠りの質は私たちの昼間の作業効率に大きな影響を与えています。自分の睡眠の記録をとって,表計算などの作業結果や部活の成績と照らし合わせてみましょう。徹夜や断眠があったかどうか,起床や入眠の時間によってスコアが変わるかもしれません。自分の作業効率が最大になる睡眠時間を探してみましょう。