細胞はただでは死なない 三浦正幸

細胞はただでは死なない 三浦正幸

動物の発生はじつにおもしろい。
丸い単細胞の受精卵が分裂し,オタマジャクシのような形の胚になっていく。
細胞はそれぞれ異なる運命を進み,神経や筋肉,骨などに分化していく。
そんな細胞の運命の中に,とりわけ興味深い運命があります。

それは「細胞死」です。

東京大学薬学系研究科遺伝学教室教授 三浦 正幸

東京大学薬学系研究科遺伝学教室教授
三浦 正幸

細胞は発生過程で分裂したり分化したりするだけでなく,ときに「死ぬ」という運命を選びます。
これは病気や怪我によって死ぬのではなく,発生過程で最初から死ぬようにプログラムされているのです。
死ぬことが決まっているのならどうして生まれてくるのだろう?
細胞死の意義を調べる研究はかなり難解ですが,私はこの興味深い細胞死という現象に注目して研究を行なっています。

密接に関わっていた「死」と「再生」

人の指の間にはもともと水かきがついていて,生まれるまでに無くなることや,オタマジャクシのしっぽが無くなっていくことは広く知られています。
このように身体の形を変化させる現象は「形態形成」と呼ばれ,細胞死が活躍する有名な現象です。
ところが,近年になって細胞死にはさらに興味深い役割があることがわかってきました。
細胞死は「再生」に関わっていたのです。
カエルの子どもであるオタマジャクシはしっぽを切っても再生します。

ところが実験的に細胞を切られても死なないゾンビのような状態にすると,再生が起こらなくなることがわかりました。
再生する動物で有名なヒドラでも同様でした。ヒドラは身体を切断しても再生しますが,切り口をゾンビ細胞にしてみると再生が起こらなくなりました。
これらは非常におもしろい発見でした。
切られて死にゆく細胞は,ただ死ぬだけでなく,周りに細胞に対して細胞増殖を促す物質を出していたのです。
自分が死んでも周りが増えてくれれば穴埋めができる,細胞はそのような献身的な気持ちで生きているのかもしれません。

ガン治療においても重要な発見だった

死にゆく細胞が周りの細胞に増えるように促している,この現象はじつはヒトにとっても重要な発見でした。
医療技術の進んだ現代においてもいまだに難解な病気に「ガン」があります。
ガン細胞は通常の細胞よりも速い速度で分裂し,増殖するという特徴を持っています。
ガンに対して使われている治療法に放射線治療があります。
放射線治療とは,放射線を当てることでガン細胞が細胞死するよう誘導し,死滅させるという方法です。
ところが,放射線照射によってガン細胞を完全に死滅させることができれば問題ありませんが,一部のガン細胞が残ってしまったときが問題になります。
ガン細胞が細胞死するときも周囲に増殖を促す物質を振りまきます。
すると,わずかに残っているガン細胞はさらに増殖を促されてしまうため,放射線治療が逆効果になってしまうかもしれないのです。

「なんのために」よりも「なぜ?」

私はもともと細胞死という現象に興味を持って研究を始めました。
結果として,細胞死はガンのような重要な病気とかかわっているということがわかってきました。
中学生や高校生のみなさんにはぜひともこれから科学の世界に飛び込んできてもらいたいと思っていますが,研究のきっかけは「なんのために研究するのか?」ではなく,単純に「なぜ?」という興味をもとにしてもらいたいと思います。

生き物をよく見ると不思議でいっぱいです。
金魚は冷たい水で生きられるのに,熱帯魚は生きていけません。
あたりまえのように感じるかもしれませんが,よく考えると不思議です。
この「あたりまえ」と思うことのほとんどのことは「なぜなのか?」はわかりません。

「なぜ?」はインターネットで調べても解決しないことがほとんどです。そこであきらめるのではなく,自力で「研究」することが楽しいということに気づいていただきたいと思います。

東京大学薬学系研究科遺伝学教室教授

三浦 正幸

三浦先生の本棚を見せてもらいました!

三浦 正幸先生の本棚