iPS細胞は、こうして生まれた

iPS細胞は、こうして生まれた

2012年10月。
細胞の運命に関する常識を変えたとして、山中伸弥さんが英国のJ・ガードン教授とともにノーベル医学・生理学賞を受賞しました。
皮膚の細胞にたった4つの遺伝子を入れるだけで、からだ中のほぼ全種類の細胞になれる能力「多能性」を持つiPS細胞をつくれるというのです。
いったい何が、彼を大発見へと導いたのでしょうか。

ES細胞に残された課題

私たちのからだは、1個の受精卵が分裂をくり返し、皮膚や心臓などさまざまな細胞へ分化することでつくられます。

ある細胞がからだ中のほぼ全種類の細胞になれる能力を多能性と呼び、発生のごく初期段階の個体である「胚」の内部にある内部細胞塊がこの性質を持っています。
内部細胞塊を取り出してつくられた細胞を「ES細胞」といいます。
ES細胞には多能性があり、さまざまな細胞になれるので、失われた臓器をよみがえらせる再生医療へつながると期待されていました。
しかし、ES細胞は、つくるときに胚を壊す必要があり、命を犠牲にするとも考えられるという「倫理」の問題と、他人の細胞であるES細胞を移植しても、免疫によって排除されてしまうという「拒絶」の問題を抱えており、どうしても実用化できずにいました。

他とは違った山中さんのアイデア

all_121120_koryo.pdf(2_30ページ)実用化は難しいES細胞でしたが、基礎研究では盛んに使われ、細胞が多能性を維持したり、さまざまな細胞に分化したりするメカニズムが解明されました。
また、ES細胞を使って、あるひとつの遺伝子の働きを操作する遺伝子組換え技術が開発され、それは生物学分野でとても重要なものとなりました。
そのため、世界中の研究者が熱心にES細胞の研究を行っていたのです。
そんななか、山中さんはES細胞の実用化に向 けた、ある考えを持っていました。
山中さんがiPS細胞の研究を始めた当時は、細胞内で働く遺伝子の量を計るマイクロアレイ法が広まり、ES細胞で活発に働く遺伝子が明らかになりつつある時代でした。
このとき山中さんは、どこかの細胞にES細胞で働く遺伝子を入れれば、普通の細胞をES細胞に変えることができるのではないか、と考えたのです。

試行錯誤の末にできたiPS細胞

山中さんはまず、マウスでは約3万個と見積もられる遺伝子のうち、ES細胞で活発に働く遺伝子を、データベースを用いて100個に絞りました。
次に、この100個についてひとつずつ遺伝子組換え技術で働きを調べ、24個に絞りました。
そして、これら24個の遺伝子を、研究材料としてよく使われる、皮膚の繊維芽細胞に、次々 と入れていったのです。
それは、気の遠くなるような実験でした。
まず、遺伝子の運び屋「レトロウイルスベクター」を用いて24個の遺伝子すべてを線維芽細胞へ送り込むと、見事に多能性を持った細胞をつくり出すことができました。
ところが、1個ずつばらばらに細胞に送り込んでも、多能性を獲得するものは現れません。
つまり、遺伝子はいくつかを組み合わせて入れなければならないということがわかりました。
そこで、24個のうち1つを除いた23個の遺伝子を送り込み、多能性の特徴が現れない組み合わせを探しました。
除いたときに多能性の特徴が現れた遺伝子が、機能獲得に関与していると考えることができます。
こうして遺伝子を10個に絞り込み、また1個を除いて送り込む実験を行った結果、ついに、Oct3/4、Sox2、Klf4、c-Mycという4因子の組み合わせを発見しました。
「人工多能性幹細胞(iPS細胞)」の完成です。
繊維芽細胞に多能性を持たせることで、倫理と拒絶の問題をクリアした新たな多能性細胞がつくられたのでした。

山中さんの「人の役に立つものをつくりたい」という強い信念。
それは、ES細胞研究が目覚ましいなか、実用化できるES細胞をつくろうと発想を変えたところや、気の遠くなるような実験をあきらめずに行ったところからうかがうことができます。
山中さんのゴールはiPS細胞の作製にとどまりません。
iPS細胞が本当に人の役に立つ日まで、挑戦し続けることでしょう。
(文・相山好美)