新しい熱力学を構築する 坂本 英和
先生の研究について教えてください。
そうお願いすると、坂本先生はペンでさらさらと数式やグラフを書きながら、
研究テーマである「マルテンサイト相変態」について説明してくれた。
部屋の片すみで始まったミニ講義は、どんどんヒートアップしていく。
マルテンサイト相変態って何ですか
「専門は形状記憶合金なんですけど。
形状記憶効果とか超弾性とかおもしろい性質があるんです」。
かたちが崩れても、ある一定の温度以上になればもとのかたちに戻るのが形状記憶効果、他の金属ではできないようなかたちに曲げても、その力を緩めればもと通りのかたちになったりするのが「超弾性」だ。
その原因になっているのが「熱弾性型マルテンサイト相変態」という現象。
金属は、原子が規則正しく並んで格子状の結晶になっている。
加熱したり冷却したりすると、合金の中の原子の並び方が変わる。
マルテンサイト相変態というのは、原子がばら
ばらになるのではなく、格子のかたちを保ったまま歪むようにして結晶構造が変わることをいう。
「たとえば温度の高いところで正方形の格子をつくっている合金を冷やしますと、マルテンサイト相変態が起こりまして、平行四辺形の格子になるわけです。
そして、また加熱すると格子のかたちは正方形に戻るというわけですね。
その冷却して平行四辺形になるときの温度と、逆に加熱して正方形に戻るときの温度の差がせいぜい10~50°Cくらいしかない場合を『熱弾性型』というんですね」。
試料の質量で温度が違う
「相変態というと難しそうに聞こえますけど、たとえばH2Oという物質は、0°C以下なら氷で、0°C以上だと水ですね。
同じH2Oという分子式ですけど、温度によって状態が変わるわけです。
これは、水が1kgでも1tでも10gでも、0°C以上では水であることには変わりがない」。
このように、合金についても相変態するときの温度はその種類によって一定だとされてきた。
しかし、坂本先生は材料の質量によって相変態の温度が変化することを発見したのだ。
帝京大学で研究を始めた1991年、形状記憶合金の薄膜をつくろうとしていた。
薄膜をつくる装置が手元になかったため、前に勤めていた大阪大学時代の教え子がいる会社の薄膜製造装置を借りて実験を行っていた。
でき上がった薄膜を加熱してみたところ、「まあ、みんな気がついていたかもしれないですけど、私だけ、あ、これ非常にシャープなピークが出ているな、と」。
非常にシャープというのは、相変態が始まってから終わるまでの温度区間が短い変態だということ。
これまで行っていた普通の大きさの試料の実験では、それほどシャープな変態が起きたことはなかった。
薄膜だから、つまり質量が小さいからこそ、相変態の温度が変化したのではないか。
坂本先生は実験を重ね、試料の質量が小さくなると相変態の温度区間も小さくなることを見つけたのだ。
合金の組成はお好みで
「今年は修士2年生、堀君っていうんですけど『銅-13.8%アルミ-4.2%ニッケル合金単結晶のサイズ効果』というテーマで。
この合金は、これまたけったいな試料サイズ依存性を示すんです。
普通はA(f加熱時の逆変態終了温度)というのは試料の質量が小さくなると下がっていく。
だけどその合金は上がっているんですね。
信用してくれるかどうかわからないですけど」。
純粋な金属材料を用意し、あとは自分たちの望む組成の合金をつくり、試験し、解析するところまで一連の実験をすべて行う。
「溶解してつくった合金をスライスして、ディスクをつくるわけですね。
これを熱処理してその後、DSC(示差走査熱量)測定をする。
これも最初から最後まで自分のところでやります。
一応揃ってますから、装置は。
好きな組成の試料をつくって調べられるわけですね」。
新しい相変態の熱力学への反響
「相変態の温度が変化するというのは、今までの熱力学だとあまり説明できないんですね」。
この現象について論文にまとめ、1998年に発表した。
形状記憶合金で微小なマシンをつくろうとすると、少し試料の大きさを変えただけで変態温度が変わることを考慮して設計しなければならない。
産業への影響も大きいはずだ。
しかし、「反響は、なかなか…。
新しいものが出たら非難する人もいますから」。
「何か説明しようとしても、その熱力学が間違っているとサイエンスが進展しませんから。
たとえば天動説と地動説があったとき、天動説をいつまでも信じているということになっちゃうので。
地動説、地球は動くんですよ、ということに切り替えないといけない」。
坂本先生は、科学の基本的な考え方を変える新しい相変態の熱力学の構築を、宇都宮から密かに狙っている。