非生命から生命へのアプローチ 瀧ノ上正浩
物理学者シュレーディンガーが著書“What is life?(生命とは何か)”で“It feeds on negative entropy”と表したように、異なる分野からだと生命現象の捉え方も大きく変わってくる。破綻を来すことなく自律的に回り続ける生命のシステムの探求は、分子生物学や生物物理の研究者に限らず、他分野の研究者によっても進められ、成長してきた。さらに、近年では学部生を対象にした生体ナノ・マイクロテクノロジーの国際分子デザインコンペティションBIOMODがはじまるなど、新たな動きも起こっている。物理学をベースにした視点でアプローチし、新学術領域「感覚と知能を備えたロボット分子の創成(領域略称:分子ロボティクス)」や、さきがけ「細胞機能の構成的な理解と制御」のメンバーで、BIOMODのメンターも務める東京工業大学講師の瀧ノ上正浩氏にお話を伺った。
非平衡解放系
生命システムは非平衡系で成り立つ。外からエネルギーや物質が流入してきて、その余剰を排出し、その前後のエネルギー差にうまくエントロピーをのせることで、エントロピーの増大を抑えているシステムとして成立しているわけだ。自律的な運動が生まれる、リズムが生まれる、情報処理をするといった生命現象の下の階層はこうした物理学の法則に支配されている。人工的な細胞を構築する研究は世界的にも進んできているが、一般的にはタンパク質やDNAをリポソームで覆った閉鎖系で反応させる実験が主流だ。ただ、こうした閉鎖系では、エネルギーが流入して、いらないものを排出するという流れがカットされてしまうと瀧ノ上氏は指摘する「。閉鎖系ではなく、解放系の人工細胞システムを作り、ただ反応をさせるというだけでなく、自律的な運動が起こるといった生命現象につながるダイナミクスを持った人工細胞システムが作れるのではないかと考えて、さきがけでは研究を進めています。また非平衡性がないと、ダイナミクスが生まれないため、進化自体も起こりません。より生命に近いダイナミクスを持った人工生命の研究が発展していくということを考えて、非平衡性を取り入れた人工細胞の方法論にも取り組みたいと考えています」。
とても興味深い非平衡系の人工細胞を想定した映像を見せていただくことができた。マイクロ流路の明視野の拡大映像に映し出された1本の流路と、それに繋がった箱形のくぼみ。流路は油で満たされ、箱形のくぼみの中は細胞に見立てたリン脂質で覆われた水滴で占められている。映像では次々と流れてくる新たな水滴(エネルギーの流入)がくぼみの中の水滴(人工細胞)と融合し、一部はちぎれてまた流路を流れていくという、供給と排出のサイクルが繰り返される(図1)。蛍光顕微鏡で観察すると、この一連のサイクルの中で蛍光が一瞬消え、また光り出すというリズムが生まれていた。こうした振動をもったシステムを発展させれば、代謝サイクルなど、生命の中で起こっているリズムをもった現象にも応用できるのではないかと瀧ノ上氏は考える。
ふたつのものづくり
「下からはDNAナノテクノロジーで分子を制御し、上からは微細加工技術等のマイクロテクノロジーで場を制御し、ナノとマイクロの間に挟まれた空間で生まれる生命現象を明らかにしていきたいと思って研究をしています」と語る瀧ノ上氏。分野が横断的であるため、コラボレーターは化学、数学、物理学、マイクロ流体工学、生命科学など多岐にわたる。その中で、分子を加工して新しいものを作り出せる化学系の研究者の存在が大きいそうだ。生物物理学、化学、情報工学、システム工学など様々な研究者が参加し、瀧ノ上氏自身も参加する、分子ロボット研究の発展のための基盤作りに取り組んでいる新学術領域「分子ロボティクス」でも、化学者の貢献は大きいという。例えば、分子ロボット構築に必要な分子スイッチや情報伝達分子を作り出すというところで、大きな活躍をしている。物理学者、工学者はそれをシステム化するところに力を発揮する。道具を作ることと、新しい分子を作ることが共存しながら、物質から生命のようなダイナミクスを持ったシステムを生み出す研究が、ミクロレベルのものづくりでも着実に進んでいる。
自由に分野を超える若手の育成
瀧ノ上氏はBIOMOD(International Bio-Molecular Design Competition:国際分子デザインコンペティション)の東工大チームのメンターという顔も持っている。BIOMODはHarvard大学WyssInstituteが主催する生体ナノ・マイクロテクノロジーの国際コンテストで、2011年に始まった。学部生でチームを構成し、WikiやYoutubeなどのオンライン発表と、ボストンで開催されるジャンボリーでのプレゼンテーションによって審査が行われる。デザインするものは分子ロボットだ。そのデザインと発想で学生たちが勝負をする。毎回、日本チームは大健闘し、東北大チームは総合優勝、東工大チームは総合準優勝や総合3位、他のチームも多くの賞で入賞を果たした「。大会が終わる頃にはディスカッションやブレインストーミングが当たり前にできるまでに学生が成長しているのは大きいと思います」と、学生の成長にも繋がっている。それだけでなく、分子ロボットを作る中で、生命科学系の研究を普通に行っていたら経験しないマイクロ加工技術など、他分野の技術も学べるため、分野のハードルを感じにくい学生が育つ場にもなっているそうだ。
将来を担う若手も育成されつつあるこうした分野横断型の研究からの生命へのアプローチは、生命とは何かという本質的な問いへの糸口を与えてくれるに違いない。