消費者の使い勝手を重視する
三洋エナジートワイセル株式会社 技術統括部 泉康士さん
日本国内の乾電池市場は年間で約21億本(※)、その使用済み乾電池の量は膨大である。環境問題やエネルギー問題が表面化する中で、その変革に挑むのが「暮らしを変える電池 『eneloop(エネループ)』」だ。
消費者の使い勝手を重視する
デジタルカメラ等に使われる、機器用のニッケル水素を用いた充電池の研究開発に携わっていた泉さんは、ある疑問を抱えていた。各社の競争の中、容量が大きく、より利便性の高いニッケル水素製品が毎年のように開発されているはずだが、一向に市場が広がらない。初めて市販用の充電池が誕生してから20年弱が経過するが、未だ市販用の電池市場の99%を従来の乾電池が占めていた。「はたして、自分の作っている電池は消費者に受け入れられているのだろうか」。
自社で実施したウェブアンケート結果から、乾電池と比べたときの充電池のデメリットが浮かび上がってきた。最も多かった意見が「自己放電が大きい(放っておくと、いつの間にかエネルギーが減少する)」という内容だった。自己放電を抑えたニッケル水素電池を開発すれば、もっと多くの人に、自分の関わる商品を届けることができるかもしれない。この日から、泉さんの戦いが始まった。
エネループのブレイクスルー
これまでにも充電池を開発する多くの企業で研究が進められていたが、自己放電に関する大きな改善はなされておらず、製品を充電した状態で店頭に並べることはできなかった。エネループが実現したブレイクスルーの最大のポイントは、これまで他の特性を低下させずに改善することは困難とされてきた自己放電を、大幅に抑制できたことだった。ニッケル水素電池には、水酸化ニッケルを主材料とする正極板、水素を可逆的に吸蔵・放出する水素吸蔵合金を主材料とする負極板がある。さらに、両者を隔てるセパレータ、アルカリ性電解液、ケース、封口板などから構成される。充電池に自己放電が起きる理由として「正極の自己分解」、「窒素化合物によるシャトル効果」の2つが報告されている。泉さんらは、「セパレータへの導電性化合物の析出」という新たな視点も加え、これら3つの点について改良を行った。
「正極の自己分解」に対しては、電極や電解液の組成を改めた。電解液中の窒素化合物が両極を行き来し、正極を還元してしまう「シャトル効果」については、電池内のセパレータを改良することで対応した。そして、最も効果的だったのが「セパレータへの導電性化合物の析出」の改善だ。セパレータの改良と同時に、負極の水素吸蔵合金に、三洋電機の独自技術であるコバルトやマンガンを使わない「超格子合金」を採用できたことが大きかった。コバルトやマンガンは、これまでニッケル水素電池において必須の材料となっていたが、使用中にセパレータに導電性化合物として析出し、それが自己放電を起こす原因となっていた。そこで、負極の成分をコバルトやマンガンを含まない超格子合金に変更することで、自己放電を大幅に抑制することに成功した。課題を1つずつクリアするために、正極、負極、電解液など様々な組み合わせを試してはテストを繰り返し、合計で5000種類近くのサンプルを検証したという。
充電池最大の問題をクリアできたことで、充電池の概念が変わった。2年間放っておいても、エネルギー残存量が80%を超えるため、充電した状態での販売ができる。つまり、乾電池のように買ってすぐに使うことができるため、これまで敬遠されてきたスーパーやコンビニでの販売も可能となった。乾電池と充電池両方の「いいとこ取り」をした、新しい電池を誕生させることに成功したのだ。
自分の開発した物が、新しい市場を作り出す
エネループが発売されて3年間たった今、市場はどのように変化したのだろうか?実は国内における三洋ブランドの市販電池の販売量は5倍に伸びたものの、それでも乾電池の占める割合は99%のまま変わっていないという。乾電池の市場が大きすぎ、まだエネループがその牙城を崩すまでには至っていないのだ。しかし、環境への意識の高まりが、消費者の価値観に「安くて便利なもの」から「少し高くても環境によいもの」を買いたいという変化をもたらしつつある。「エネループは、これまで充電池の購入を考えていなかった女性をはじめ、新しい市場を生み出している」と泉さんは語る。自分の生み出した商品で、新たな市場を作り出したのだ。
今でも、売り場に並んだエネループを見るとニヤリとしてしまいつい商品をきれいに並べ直してしまう。自分の作った製品、関わった製品が商品として店舗に並び、テレビでCMが流れると、恥ずかしいような嬉しいような、複雑な気持ちになる。おそらく、営業、マーケティング、どんな部署でも製品の誕生には関わることができる。しかし、技術者の最大の魅力は、その製品を生み出した「本当の喜び」を味わえることだ。そして自ら開発した製品で世の中の常識を覆し社会や文化を変える可能性があることだと、泉さんの笑顔は確信させる。