進むほど好きになる道 -高橋 和利-

進むほど好きになる道 -高橋 和利-

京都大学 iPS 細胞研究所 講師 高橋 和利 さん

iPS 細胞樹立に関する世界で初めての論文(Cell, 126:p663-676,2006)があ
る。著者の欄には2人の名前しか記載されていない。その成果のインパクトの強さか
ら激しい批判が予想されたため、筆頭著者と山中教授だけが名前を出したというのは
有名な話だ。今となってみれば幹細胞研究がその論文の以前・以後で語られるほどに
評価されるiPS 細胞は、工学部出身の1人の若い研究者によって世界で初めて確認
された。「偶然だった」。高橋和利講師は奇跡の瞬間をそう振り返る。

偶然か必然か

︱ 高橋さんが所属研究室を選んだ2000年は、山中先生の研究室しか再生医療に関係する研究を行っていませんでした。山中先生のもとで研究をすることは初めから決めていたのでしょうか、それとも他に特別な理由があったのですか。

高橋 実は、入学当初は山中先生の存在を知らなかったんですよ。けれども、講座紹介のときに山中先生の話が一番わかりやすかったんです。私は学部が工学系で、生物に関して知らないことが多かったので、理解しやすい先生のもとで研究をしたくなったわけです。

︱ それは意外ですね。てっきり入学当初から山中先生の研究室を希望していたのかと思いました。その頃からiPS細胞の樹立につながるような研究が始まっていたのでしょうか。

高橋 長い目で見るとそういうことになりますね。当時は、皮膚や臓器などに成長した体細胞に、「何か」を入れることで受精卵のように様々な組織に育つ万能細胞を作る実験を重ねていました。ES細胞は身体の異なる細胞に分化する特殊な能力を持っていますが、ES細胞で特異的に発現している遺伝子がこの特性を持たせていると、先生は考えていました。このことを調べるために、ES細胞でよく発現している遺伝子1つ1つについて学生1人1人が地道に機能解析を進めるという日々が続きました。後にiPS細胞樹立につながる4つの遺伝子を特定することができたのも、このときの地道な実験の積み重ねのおかげですね。

︱ 初めてiPS細胞を顕微鏡で観察したとき、どのように感じましたか。

高橋 正直なところ、「なぜ?」という疑問でいっぱいでしたね。

︱ それはどうしてですか。

高橋 それが「お試しの実験」だったというところが大きいですね。体細胞を万能細胞へと変える候補として私たちが考えていた遺伝子はたくさんありました。1つで万能細胞の能力を持つ可能性もありますし、いくつかの組み合わせで万能細胞の能力を獲得する可能性もあるので、様々な組み合わせを検討する必要があります。実験の効率もあるので、私たちは便宜上24個の遺伝子を1つのグループにしてその中で組み合わせの検討を行っていました。これは本当に偶然が味方したのですが、24個ずつでグループ分けをしたときにiPS細胞樹立に必要なOct3/4、Sox2、Klf4、c-Mycの4遺伝子が運良く同じグループに入っていたんです。

︱ 運も研究のうえでは重要な要素になることがありますよね。ただ、運を結果につなげるには、それを逃さずいかに発見の糸口にしていくかが大切だと思います。4つの遺伝子はどのようにして絞り込んだのですか。

高橋 みんなの努力で選び出した候補遺伝子を1つずつ細胞に取り込ませたときに、万能細胞の特徴が出ているかどうかを顕微鏡で観察する日々を送っていました。この時期は毎日ワクワクしながら顕微鏡に向かっていましたね。ただ、結果として万能細胞の特徴を見出すことができずにいました。この頃並行して24個の遺伝子全てを細胞に導入するという実験も行っていたのです。仮説に基づいてというわけではなく、余った細胞で試験的に行った実験だったのですが、顕微鏡をのぞくと万能細胞に似た特徴が見られたのです。それで、「なぜ?」という疑問の方が先行したのです。

︱ 確かに。通常の研究プロセスではなかなか今回のような偶然で結果が出るということはありませんよね。

高橋 そうなんです。iPS細胞の発見は必然性を確認しながら一歩ずつ進んでいった結果というよりも、いきなり結果を手に入れてしまったわけです。そのため、なぜiPS細胞になるのかというプロセスが明らかになっていません。この点に関しては、細胞が多能性を獲得するという基礎的な研究としてチャレンジングな課題で、これからも取り組んでいきたいところでもあります。

打率1割が面白い

︱ 2006年以降、今や多くの研究者、医学者たちが世界規模で研究をしていますね。研究者としてそれだけ影響力がある実験結果が出せるということは夢のようなことだと思うのですが、何か実感はありますか。

高橋 論文を出した当時はあまり実感がありませんでした。今でこそiPS細胞が世界中に知れ渡ったけれど、当時こんなに大きなインパクトがあるとは想像していなかったし、むしろ信用してもらえるかな、という気持ちの方が強かったのが正直な感想です。今ではこれまで生物の研究をしたことがなかった人にまでiPS細胞の作り方を教えています。そんな経験を何回も繰り返すうちに、自分たちの発見がどれだけ広まったかの実感がわいてきました。修士課程の頃から基礎研究をするなら影響力のある研究がしたいと思っていたので、それが叶ったのは本当に嬉しいですね。

︱ ズバリ高橋さんにとって研究の面白さとはなんでしょうか。

高橋 私は単発で良い結果が出たときにそれほど嬉しいとは思わない方です。むしろ実験を何度となく繰り返して何らかの結果を導き出して、それまでの3か月、半年を振り返り、「この期間、自分は正しいことをしていた」と実感したときに喜びを感じますね。研究者の中では変なタイプかもしれません。実験というのは10のアイデアがあったらそのうち9はいい結果が出ないと先生から教えられました。けれども、残りの1回でもうまくいけばいいんです。全然うまくいかなくて苦労するときもありますが、私にとってはその難しさが楽しいです。そして時間を経
るごとにますます研究の世界で働いていきたいという気持ちが強くなってきています。今はiPS細胞の安全性を評価するための応用的な研究と、なぜiPS細胞ができるのかといった基礎的な研究を行いながら、基礎研究と応用研究の両方を満喫しています。

︱ 両方に関われているというのは、本当に貴重な体験ですよね。では最後に1つ質問です。高橋さんが研究を続けていくうえで、これは絶対に達成したいという目標はありますか。

高橋 今は標準化されたiPS細胞がないので、目指すべきは体の中で腫瘍を作るかもしれないといったようなES細胞やiPS細胞が持っている問題点をクリアしたような理想的な細胞が作れたらいいなと思います。ただ、それをどう作るか、その方法はこれから見出していかなくてはいけません。でもその難しさがあってこそ研究が楽しいんです。
(『iPS細胞物語』より編集の上転載)