「社会ニーズの中で自己実現、それが博士人材の本質」 植野 真臣

「社会ニーズの中で自己実現、それが博士人材の本質」 植野 真臣

電気通信大学 大学院情報システム学研究科 准教授 植野 真臣 さん

電気通信大学大学院情報システム学研究科知能創産システム論講座准教授。1992年神戸大学大学院教育学研究科修了、教育学修士。1994年東京工業大学大学院総合理工学研究科博士課程システム科学専攻修了、博士(工学)。文部科学省研究員や、UNESCOやJICA等の国際機関や、日本教育工学会、日本行動計量学会で役員を務める。2006年電気通信大学大学院情報システム学研究科助教授に就任。2008 年に現職。

大きな部屋に連なる数々のデスクと、そこで研究に勤しむ学生たち。同じ研究室に所属していながら、彼らの研究テーマには、どれひとつとして似通ったものはない。「学生には、私や先輩の研究テーマのコピーは決してさせません。独自の視点で難しい問題にチャレンジしてこそ、自分だけの技術が生まれるのです」。高度な技術と深い専門性を身につけ、かつ社会的に貢献できる人材を育てるために最適な学びの場を創りあげること、それが植野さんの狙いだ。

社会のニーズを捉え、研究テーマを創り出す

植野さんは修士課程で教育学を学んだ後、知識・経験という形のない概念を、統計の理論を用いることで正確に測る研究に取り組み、統計学の分野で博士号を取得する。その後、コンサルタントとして国連やUNESCOで情報通信技術を活用した教育プログラムの立ち上げに関わったり、文部科学省の日本情報教育開発協議会で理事を務めたりと、様々な立場から社会と密接に関わるキャリアを積んできた。そういった経験の中で、研究開発を通して社会のニーズに応えることができる人材を輩出する大切さを思い知らされる場面が多くあったという。
「教育に関わるのは教師と学生だけではなく、社会を加えた3者なんです。その中で果たすべき教師の役割は、学生が社会を見て問題に気づき、そこに貢献できるような手助けをすること。教師が何も口出ししなくても大丈夫になったら、卒業です」。そう語る植野さんは、学生の研究に対してあくまでサポート役を貫いている。
そんな植野研究室には、社会ニーズに気づき、高いモチベーションでその解決に取り組む学生が集まってくる。ある博士課程の学生は電気工学のバックグラウンドを持ちながら、特別支援教育に強い興味を持っていた。彼は学習障害をもった子どもを上手に教えていくためのノウハウが全く蓄積していない現状に注目。日本全国の特別支援学校と提携し、webカメラを使って児童の行動と先生の対応を記録、対処ノウハウを蓄積するシステムを作り上げた。
また他の学生は、数多くのテスト問題の中から、所要時間や平均点が同程度になる問題セットを作るシステムを開発した。毎年行われる資格試験を作るために有用なこのシステムは、すでに情報処理技術者試験に導入されている。「彼らの研究テーマは私にとっては全く新しいものです。私はそれに対して、彼らが考えた方法でうまくいくのかどうか、どうしたら社会のニーズにより適切に応えられるのかを指導するだけです」。

学生の学びを促進する環境作り

植野研究室では自主性、競争能力と高い専門性を磨きながら、社会のニーズを読み取る力が養われている。学生に対して「学問に関しては相手が先輩でも教授でも、論理的に正しければ何を言ってもいい」と指導し、身分の隔たりもなく活発に意見を交わす事を促す。「最初は学生も戸惑いますが、まずは言うことが大事、という価値観を持たせます。論理的な議論を繰り返すことで、学生同士が高め合う環境が作れるのです」。
そしてもうひとつ重要な学習環境が、過去の学生の研究活動記録だ。コンピュータに蓄積され、研究室メンバーなら誰でも見ることができるその記録には、ひとりひとりの研究アイディア、調べたこと、これからの課題、議論の内容などが全て保存されている。それを通して、他の学生がどのような問題に着目してプロジェクトを進めているのか、課題に対してどのように解決策を見出しているのかなど、様々な物の見方を学び自分の研究課題に活かすことができるのだ。
自身の研究テーマは、ベイジアンネットワークという複数の事象の因果関係を確率的に表すモデルを用いて、効果的な学習を行うためのe–learningのシステムを作ること。このモデルは例えばオンラインショッピングのサイトで、過去の購入履歴から、他に興味がありそうなものを自動的に提示するシステムなどに使われているもの。それと同様に、過去の学習内容と成績から、より適切な次の課題を提示していくしくみを作るのだ。この研究経験を活かし、受け持った授業でも学生同士が刺激しあう環境を作っている。真剣に自分のレポートに書き込まれた評
価を読む学生たち。その評価は、同じクラスの学生によって書き込まれたものだ。7~8人のグループを作った学生達が、お互いのレポートを査読してコメントをつけることができるピアレビュー制度が設けられている。皆から最も良い評価を得たレポートには賞状が与えられる。そしてここでも、過去の学生のレポートの記録は学習ツールとして講義を取っている学生全員に公開されている。このような環境の中で、学生は多くの人から自分の課題についてフィードバックもらうことで、統計学の実践力を身につけることができる。
通信技術の発達で可能になったこのような学習体系は、ただ教材をweb上に置くこととは根本的に異なると、植野さんは説く。「本来の教育のあるべき姿とは、学生自身が責任をもって自主的に学ぶこと。それを促すことが、教員や教材の役目です。自身で学び、問題解決できる良い人材は、どんな時代でも就職先は見つかる」。実際、植野研究室の学生はすでに社会の中で実用化されているシステムを自分たちの手で生み出してきたからこそ、その言葉は真実味を帯びていた。

自己実現と社会貢献を目指す学生よ、集え

インタビューの最中、何度も「あの学生はすごかった」という言葉が出てきた。独立したテーマを持ち、社会の中で独り立ちする研究者として学生を扱うからこそ、そこに敬意が生まれるのだろう。だからこそ、研究室での指導は厳しい。「修士課程には、基礎力はなくてもやりたいことがある人、博士課程には、自ら成長する能力を持つ人、どんなに辛くてもついてくる覚悟がある人に来て欲しいですね。そういう人ならば、社会を見て、その中で自己実現ができるはず。そして、ここで育った学生が、後輩を育ててくれるのです」。国連やUNESCOの経験から、世の中にある様々な課題に直面し、新しい価値を生んでいくモチベーションを得たという植野さん。教育学のバックグラウンドも合わせて効果的に構築された学習環境の中で、これからの社会に向き合って貢献できる人材が育っていくだろう。