【特集】パーソナルゲノムは人類にいかなる知恵をもたらすか

今年6月1日、カリフォルニア州の遺伝子検査会社23andMeとブリストル大学のALSPAC(Avon Longitudinal Study of Parents and Children)から、ゲノムワイドな研究によるアレルギー関連座位の新規発見に関する報告がなされた1)。この研究の大きな特徴は、「自分はアレルギーを持っている」と自己申告した53,862人に対して解析を行ったということだ。『Nature』に掲載されたこの成果は、新しい遺伝学の研究スキームの狼煙となるかもしれない。

23andMeのビジネスモデル

強力なチームが進めるDTC遺伝子検査

 23andMeは2006年4月に創業され、急成長を遂げてきた消費者直結型(DTC; Direct to Consumer)の遺伝子検査会社だ。消費者は唾液サンプル採取用のキットと体質に関する詳細なアンケートを購入し、手順通りに唾液とアンケートを返送する。23andMeは収集したサンプルについて100万SNPsのタイピングを行い、そこからわかる240件以上の体質関連情報を消費者に提示する。例えば「あなたは99.8%の確率で東アジア・ネイティブアメリカン系統です」「あなたの耳あかは乾燥型です」「あなたがII型糖尿病になるリスクは平均より◯◯%高いです」あるいはあなたはゴーシェ病のキャリアではありません」といった具合だ。結果として示されたひとつひとつの表現型には、関連するSNP、文献情報、疾患リスクの場合は病院や支援団体のWebサイトへのリンクなど、豊富なバックグラウンドの情報があわせて提示される。

 彼らのミッションは、民間企業でありながら、世界中の個人の遺伝情報に関する情報ソースとなることだ(“23andMe's mission is to be the world's trusted source of personal genetic information”)。それを実現すべく、バイオインフォマティクスや人類遺伝学を専門とする科学者、臨床医を含むリーダー陣と、スタンフォード大学の情報科学者や生物学者、ハーバード大学の遺伝学者などの顧問陣が率いている。そして毎週のように様々な表現型に関する新しいレポートが追加され、また遺伝型と表現型の関連を探るための新しいアンケートが行われ、デー タベースを増強していっているところからも、彼らの「本気」が伝わってくる。

ユーザーのデータが研究の推進力となる

 23andMeのビジネスは、自分の遺伝子型を調べたい個人の消費者への検査キット・サービス販売と、研究機関や企業への遺伝情報提供により成り立っている。自分の遺伝子型解析をしたい個人に対して遺伝情報を元にした体質情報を提供しつつ、得られたデータベースを元に自社で研究、あるいは第三者へ提供することで新たな価値を生み出していくというモデルだ(図1)。冒頭で述べたアレルギー関連因子の探索研究も、自らが花粉、イエダニ、ネコに対するアレルギーを持っていると申告したユーザーの遺伝情報を元に、ALSPACと共同で行われたものだ。この研究の結果、すでに喘息との関連が示されている8つの遺伝子座位を含め、計16のアレルギー感受性座位が同定された。

 同様のビジネスモデルを掲げて個人の遺伝情報を収集していたdeCODE genetics(deCODEme)は2012年12月にAmgenによって、Navigenicsは2012年7月にLife Technologiesによって買収され、個人向けサービスを終了している。そんな状況の中、23andMeはGoogleを始めとして巨大な投資を集め、その豊富な資金をバックボーンとして当初1000ドルであった個人向けサービスの価格を99ドルにまで引き下げた。オフィシャルアナウンスによると現在までのユーザーは35万人、そのうち90%が第三者への情報提供に同意している。さらに合計1.5億の表現型に関するアンケート回答を持ち、その数は毎週平均200万という勢いで増加しているという。彼らは、2013年末までにユーザー数を100万人にまで拡大することを目標として据えている。

集積する遺伝情報をどう扱うべきか

 8月5日、アメリカで23andMeのテレビCMの放映が開始された2)。1分あまりの動画の中で、同社はこうメッセージを発している。“The more you know about your DNA, the more you know about yourself.”このCMに引き寄せられて遺伝子検査を行うユーザーが増えるほど、同社が持つパーソナルゲノムとそれに紐づく体質情報のデータベースは成長し、ヒトの多様性に関する広く深い情報が蓄積されることになる。その知恵はユーザー個人の体質判定へと還元され、サービスの質が高まっていくことで、さらなる数のユーザーを呼び寄せるだろう。一方、そこには懸念もある。ユーザー個人に提供される結果には、現時点までの研究で明らかとなっている、SNP型が体質にもたらす影響が示されている。明確に数字で示された疾患リスクの値から何を考えるか、また未だ明らかになっていない遺伝要因や環境要因の影響をどう捉え、何に活かすかは、消費者自身に委ねらていれる。

 広がりゆくパーソナルゲノムデータベースは、今後の人類遺伝学研究、疾患研究、そして人類社会にどのような影響を与えうるだろう。本特集では4人の専門家に、この流れをどう捉えるかを伺った。

日本人集団の解析に新たな価値を期待する
東京大学大学院 医学系研究科 国際保健学専攻 人類遺伝学分野
徳永 勝士 教授

信頼あるサンプルで疾患ゲノムを解析する
東京大学 先端科学技術研究センター
油谷 浩幸 教授

ゲノム研究の発展がゲノムの曖昧さを解く
藤田保健衛生大学 総合医科学研究所
宮川 剛 教授

遺伝情報と向かい合い、人と向かい合う
東京女子医科大学 遺伝子医療センター 所長
齋藤 加代子 教授

以上、4名の専門家にお話を伺い、編集部が捉えたパーソナルゲノムデータベースの現況は次のようなものだ。

  1. 遺伝型と体質や多因子疾患との関連はまだ不明な点が多く、現状の遺伝子検査は「おまじない」に近い
  2. 遺伝型と表現型とを関連付けたデータベース規模を拡大していくことは精度の向上に繋がるため、研究推進のためにもメリットになりうる
  3. 疾患に関わる遺伝要因を追求するためには、臨床医の診断によりケースを細分化する必要がある
  4. データベースは人種によっても細分化できる必要がある
  5. 遺伝子検査の拡大とともに、カウンセリング体制や、精度管理体制の強化が必須である

 まだ越えていくべきハードルは数多くあるが、すでに産声をあげ、急速に成長しつつあるDTC遺伝子検査ビジネスは、確実に一般社会、そして研究の世界に大きな影響を与えるようになるだろう。

 学校教育でゲノムの多様性や遺伝病について学ぶ機会のない我が国で、その流れをうまく受け止められるだろうか。急流に飲み込まれる前に、教育界やメディア、医療現場、ビジネスの現場に向けて、研究者が持つ知恵を発信していく必要がある。それによって、パーソナルゲノムデータベースの恩恵を社会全体が最大限活かすことが、その先にある遺伝学研究の推進にも繋がるだろう。

1)D. A. Hinds et al. A Genome-Wide Association Meta-Analysis of Self- Reported Allergy Identifies Shared and Allergy-Specific Susceptibility Loci, Nature Genetics (2013), 45, 907-911
2)http://blog.23andme.com/news/23andme-as-seen-on-tv/

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