必殺・オウム返し

必殺・オウム返し

こんなことを良くいわれる。「英語話せていいね。」「いいなぁ、英語でペラペラ話せるの、かっこいいね。」正直、嬉しい。褒められて、嫌な気持ちになる人はいないだろう。でも、もう一人の私は思ってしまうのだ「泣きながら真剣に努力をしたんだ。私だって、最初から英語がペラペラだったわけではないのだ!」・・・と。

あれ?アメリカの大学生活のハイライトだと思っていたのに?と思ってくれた皆さん。前回の投稿を読んでくれてありがとう。そして、『ごめんなさい』今回は違うことを書くことにしました。大学生活ハイライトも絶対に書くのでもうちょっと待ってね。もしくは、武田の投稿を読んでみても良いかもしれません。また異なった視点の留学が見えてくるかも!?

私が英語に初めて触れたのは、シンガポールの幼稚園、5歳の時だった。6年間シンガポールで過ごし、少しばかり英語慣れしていた私は、高校からタイにあるInternational School Bangkokに入学する事になる。この時、私は英語をなめていた。英語を勉強したことはあっても、英語で勉強などしたことが無かったのに、普通に高校生活が送れると思っていたのだ。その根拠なき自信は、入学1週間で崩れ去った。しかし、ここでやっていくと一度言ったからには3年間で卒業したい。その想いだけで必死に勉強をした。

既に15歳になっていたけど、アメリカ人の小学生が読むような絵本や児童文庫を読み漁った。とにかく、語彙を増やそう、表現力を鍛えようと思って読み続ける毎日。そして、一番つらかったのは他に居る日本人とは必要以上に話さないようにした事。クラスに居る他の英語が第2外国語の友達を作るために、必死でできない英語を駆使して、話す機会を作った。ランチタイムも日本人以外が座っているテーブルへ行き自分を売り込んだ。

家では、子供番組のセサミストリートを見て、単語や英語の表現を真似する。映画を見ては、その人のセリフを聞いてオウム返しをしてみるなど。ひたすら、英語を話している人の真似をした。そんな時間を高校3年間(タイ)、大学4年間(アメリカ)、修士3年間(オーストラリア)と過ごしたら英語が出来ないほうがおかしいだろう。確実に、他の人よりも英語に触れている時間が長かったのだから。英語がうまく話せるようになったのは、英語を自分のものにしようと思った強い意志と努力、そして恵まれた友達と環境に出会ったからだと思う。