石けんへの想いが起こす、人と人との化学反応

石けんへの想いが起こす、人と人との化学反応

東京都墨田区は、かつて、花王の前身である長瀬商店や資生堂、ライオンやミヨシ石鹸などが軒を連ね、石けんの製造が盛んに行われた「石けんの町」である。その町で、1908年に創業、現在まで石けんづくりを見つめ続けてきた会社がある。

最終消費財をつくることへのこだわり

「石けんは、混合や練合ではなく化学反応でつくる製品。独特の製法が大きな付加価値を生み出す」と語るのは、創業105年を迎えた老舗石けん・化粧品製造会社、松山油脂を率いる松山剛己さんだ。石けんは時代の変化の中で、単に「身体を洗うもの」という機能のみならず、使う人の好みや気分に合った感性豊かな特徴が求められるようになった。石けんは油脂と苛性ソーダのシンプルな化学反応でつくられるが、水溶性、洗浄力、泡の量や泡立ち方の違いなど、石けんの使い心地は脂肪酸の種類で決まる。松山油脂では大きな釜に原料を仕込み、その反応を人の目で確かめながらつくる、昔ながらの「釜焚き製法」によって天然原料から素材の持つ有用性を生かした石けんをつくっている。「お客様が毎日使うものだからこそ、安心安全で、環境にもやさしく、長く使い続けていただけるものを」。最終消費財である、ディリープロダクトをつくる松山さんのこだわりだ。

石けんづくりへの想い

今は家業を継いで石けんづくりに邁進する松山さんだが、学生時代は「何かで起業したい」と考えていたという。大学を卒業後、「製品をお客様に提案する仕事」に興味を持ち博報堂へ就職。その後、三菱商事へ転職するが、父親から松山油脂を廃業する意向であることを聞き、後を継ごうと決意、石けんづくりに向きあうことになる。「何十億円と大きな金額が動く仕事だとしても、それが目に見える形を持ち、自分自身で実感できるものでなければワクワクしない」。製品の作り手が、その使い手となることができる石けんづくりに、やりがいを発見する。やがて松山さんは、父親から会社を譲り受ける。当時下請け事業のみだった松山油脂に自社ブランドを立ち上げ、石けん以外にも、ボディソープやヘアケア製品からスキンケア製品までカテゴリーを広げていった。当時、苦しい経営を強いられていた松山油脂は、成長企業へと躍進していく。

製品に心を動かされた人が集まる

松山油脂では、大々的に求人を行わない。「メーカーは、製品そのもので勝負すべきだと考えています。美辞を並べることより、製品が会社を語ってくれます。その製品に感動して一緒に働きたいと手を挙げてくれる、そんな人と働きたい」。松山さんの言葉通り、同社で働くのは、皆、製品に心を動かされて集まってきた人たちだ。その中には理系の研究をしてきた21名もいる。研究開発部、富士河口湖工場には研究農園を有し、原料にこだわる同社では、理系の研究を生かせる仕事もある。しかし、専門分野だけではなく、生産管理や工場勤務など、製品ができ上がるまでのプロセスに向きあうこともある。「市場にある何千何万という製品の中で、お客様にお選びいただく一つになるためには、原料、品質はもちろん、パッケージデザインから販促物のメッセージまで、細部にわたってお客様の視点で吟味しないといけない」。お客様、会社の仲間のために、飽きることなく考え続け、そして、行動できる人だけが、松山油脂でモノづくりをすることができるのだ。お客様へ最高の価値を提供するために、妥協しない仕事がしたいと思う人が自然と集まる。真摯なモノづくりの姿勢が、販売店やお客様を引き寄せ、また、新たな仲間をも引き寄せている。(文・前田 里美)

プロフィール

1964年、東京都生まれ。株式会社博報堂、三菱商事株式会社を経て、1994年、家業である松山油脂合名会社(当時)に入社。2000年、同社代表取締役社長に就任。他、株式会社マークスアンドウェブ、株式会社北麓草水社の代表取締役社長も務める。