研究者が不正を働く時
シリアスな話題であるがまとめ。
今回のケースでは、不正論文にもとづく宣伝により、価格が安い別の薬があるのにディオバンの売れ行きが伸びた。高血圧患者や健康保険の財布が不当に傷められたとの指摘もある。
これだけ広い弊害を起こす問題なのに、薬の研究不正を防ぐ仕組みは不十分なままだ。
誇大広告への罰則は「2年以下の懲役か200万円以下の罰金」程度である。それも企業側を罰することしか想定しておらず、研究機関や大学、研究者らの責任を問うことは難しい。
研究者側はその研究人生の終焉というものが待っているのだが、そこまでのリスクを犯してまで研究不正は犯すべきものだろうか。
某知事の如く5000万円を鞄で受け取るという事も無かろう。人生を賭けるほどの不正というものはあり得るか。
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最近はだいぶどころか全然人間像が違ってきたのではないか。
共通点は、教授になるもしくは高額研究費をえる研究者の仲間になれる道として捏造をする、タイプの人間であることには変わりはないように見えます。
しかし悪漢的要素よりも紳士的な要素のほうが高い、つまりエリート教育、恵まれた家庭、温厚な人柄、こういう人たちが捏造に手を染めているようだ、ということです。
データ捏造に関しては、度の過ぎるものが時々一般誌面にもでていますが、基本的に次のような幾つかのパターンに分けて考えることができます。
1.組織ぐるみで意図的に行う。
2.実験者本人が意図的に行う。
3.気づかないうちにやってしまう。
研究結果の厳しい精査によりデータのねつ造が証明されることが多くなるなか、この数年で科学専門誌からの論文撤回件数が急増している。論文審査のある、世界の専門誌の指標であるトムソン・ロイターの「ウェブ・オブ・サイエンス」によると、01年の撤回件数は22件、10年は339件だった。
一般社会が、「科学者社会は、自身でこの問題に対処する意志も能力も無い」と判断しかねないことだ。そうなると、上の方から現実を無視した規制が降ってくる事になる。そうなる前に、科学者社会自身による現実的で実行力のある方策を、なんとか作らなければならないが、現時点で、そのような動きはほとんど見られない(これについては尾崎美和子さんの本サイトでのご意見も参照してください)。問題の一つは、ほとんどの科学者が自分の研究以外の事には関わりたくないと思う人種であることだ。これは、自分もそうなので責めることはできなないが、ぐずぐずしていると最悪の事態に陥る可能性がある。危険である。
■研究不正の背景
優秀な研究者としての栄誉を得たいという願望の他に、研究者としての生き残り競争の厳しさが、不正に高い評価を得ようとする動機を後押ししていると考えられます。研究資金の獲得競争の他にも、少子化で学生数が少なくなってきた大学では教員数が減らされてきており、雇用期間に期限のある不安定な研究職が増えています。2013年春に博士課程を修了した大学院生のうち、安定した職に就いていない人が約4割もいます。*3 研究成果を数年で出さないと評価されず振り落とされてしまうという競争の激化が、色々な悪影響を及ぼしていると考えられます。研究はルーチンワークと違い、研究に携わる人達を危機感をもって追い立てれば成果が上がるという単純なものではありません。研究が上手く軌道に乗るかどうかは、選定したテーマの運・不運もあります。誰もまだやった事がない領域を調べるのが科学研究の特徴でもあり、やってみて上手く行くかどうかの保証はありません。成果主義による研究者の焦りが、不正行為へと駆り立てている背景は無視できないでしょう。
論文の捏造については、色々と記事を見ていくに、論文獲得競争から振り落とされないように一度踏み入れてしまうと戻ってこれないというケースが目立つようだ。
いわゆるビッグラボで論文捏造の道に踏み入れてしまうと、巨額な研究費が切れる事が良しとされず、長期間に渡り捏造に捏造が重ねられる事になってしまう。