コンテンツに飢えた日本人の最後の未踏領域「研究」

コンテンツに飢えた日本人の最後の未踏領域「研究」

昨日は、独立系研究者として生計を立てている方と対談する機会があったのだが、そこで持ち上がった話を紹介したい。

独立系研究者という生き方に親近感を覚えた | いつか創造される何かは、今想像出来る未来 @geeorgey 吉田丈治


研究者は如何にして自らの研究の独立性を担保するのかという事を考えると、現在のような国家予算としての研究費は人口の減少と共に縮小される事は自明であり、今のまま未来を迎えるというのは不安がつきまとう。

国家プロジェクトとして莫大な額を必要とするような研究プロジェクトは国費から賄われて行くという流れは変わらないだろうが、逆に小さなスタートアップとしての研究に対する投資ができなくなってくる可能性は想像に難くない。

そんな中、如何にして研究者が研究資金を獲得していくのか。

独立系研究者の小松 正さんは、研究者というバックグラウンドを持ちながら、研究機関に属する訳でもなく、民間企業の研究機関に属さずに独立した事務所を切り盛りしている。

これからの研究資金の獲得方法としてのコンテンツ化

資金獲得方法については色々と議論したのだが、一つだけ取り出すと、研究のコンテンツ化というものが今後進んでくるだろうというもの。

例としては「なまけっと」という生物が好きな人版のコミケ的取り組みが挙がったのだが、そこに可能性を見出している。


ソーシャルメディア上の宣伝がメインだったというが、それでも当日は1300人(くらいだったとおもう)程度の入場者が現れ、それなりに商品が売れたのだそうな。

元々そこに出品されている生き物に興味がある人もいれば、友達に誘われて寄っただけという人もいたようだが、事前知識が無くても楽しめるイベントになっていた事を来場者の感想に見出すことが出来ている。

こういった、研究者という研究のプロじゃなくても実は興味関心があるという人はそれなりの規模でいるのではないかというのが現在感じている希望。

イベントの事後報告を聞いたのだが、来場者は普段なかなかそういうことを発散する機会が無いようで、イベントに来て出展者と会話を楽しむという事だけでも貴重な機会と捉えられたという話も挙がっていたのは面白い点だと思う。

ニーズとコンテンツがマッチしていない研究業界

研究者の本分は当然研究なのだから、そこに力点が置かれるのは当然なのだが、アウトリーチ活動への認識が高まっている昨今において、自ら聴衆を楽しませる事に取り組む研究者はまだ多くはない。

昨今のブログまわりを見ていると、研究者がわかりやすい言葉で研究最先端の話をしてくれるような話題は意外と取り上げられやすいと感じているのだが、それは何故かというとそのような論法を出来る人材が限られているからなのだ。

研究者がそこに喜びを見出し、コミュニケーション手法に馴染んでくる事によって研究現場のコンテンツ化は更に進むだろう。

コンテンツ化が進めば耳目が集まってくる。何しろ研究現場というのは一般の人から見ればブラックボックスで、見たことのない世界がほとんどだろう。気にはなるけど、情報に触れる機会が無いという所に研究者が登場してくるという流れが生まれてくるはずなのだ。

話を研究資金の獲得に戻す。

ラボ単位でも構わないとは思うが、研究の面白さを真剣にコンテンツ化し、発信するような事が出来れば、そこに投げ銭をうむことが出来るはずだ。

リバネスはかつて「教育現場を支え、革新させるのは民間の役割である」と謳い活動を始めたが、これは研究現場にも言える事だと思う。

研究現場を支え、革新させるのは民間の役割であり、どちらかというと企業体が支えるというより興味関心を持つ個人が支えるのであるという方が面白いじゃないか。

ラボに数百人の支援者が生まれ、年次の研究発表会が行われると研究所に多くの民間人が遊びにやって来る。発表会では実際にコンテンツ発信者である人たちとの交流が生まれるのだが、それを楽しみにしている人がたくさんいるという世界だ。

技術立国というのは、そういうことを指すのではないかと、ふと思ったんですよね。

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